「府中本町」の駅を降り改札口を出ると、ヒダリ前方に大きなタテモノが見えた、
「府中の競馬場だな」
地図を見ると右方向だ、ちょっと歩くと石の鳥居、ぐるりと築地(ついじ)が囲んでいる、左に回りこみ、そこから境内に入る、菊花紋のような紋章が飛びこんできた、立てカンに、
「所定の烏帽子 白丁着用者以外の方は 神輿(みこし)を担(かつ)げません」
出雲系らしいものはないかな、
♪ おこのみ やきやき
おこのみ やきやき
はあーい おねえさん
おこのみ やきやき
おこのみ やきやき
はあーい おにいさん
群衆の中に、15、6歳の少女、
「深山(みやま)の白つつじか」
古代がよみがえっている、現在は、古代の世界に直結しているのかもしれない。
ビルの中に和菓子の店があった、柏餅(かしわもち)がおいしそうだ、
「ふたつ くださーい」
「はい サンビャク・ロクジューエン(360円)です」
ベンチで柏餅を食べている老婦人に、
「高いですね」
「はい はい」
「食パンが 買えますね」
「いえ 100円のがありますよ」
なんて品のいい、やさしい笑顔だろう、この土地の奥の深さ、いや、出雲文化の奥の深さ、こんなところに小さな花が咲いていた。
剛直な街路樹の枝の形(なり)に、出雲文化の残り香を忍ぼうか、思い浮かべようか。
大宮の氷川神社は出雲系だが、その参道の脇に、町立の考古館があり、縄文の土器や土偶が展示されていた、あどけない表情がほほえましい、
「出雲の連中は 縄文系の人々と仲がよかったのではあるまいか」
それに対し、天皇族は各地で強圧的で、ところによっては殺戮を恣(ほしいまま)にしている、この列島にとって、どちらが良かったのか。
第二次(三次)出雲政権とでも言うべき徳川幕府から明治の天皇制へ、またしても歴史が繰り返した、そして、あの大逆事件、幸徳秋水は、
「正統な南朝をだました北朝の子孫の明治天皇には アタマを下げまい」
秋水が、ホントウに言いたかったコト、それは、
「列島の最初の支配者・王者は 大国主の命ではあるまいか」
大審院に声が轟く、
「明治大帝を弑(しい)し奉(たてまつ)らんとすは 何事ぞ」
「おれは 今の天皇を認めない 本当の天皇は認める」
明治の男の血を吐く一句、
「真実の歴史・歴史の真実に アタマを下げるのだ」
皐月(さつき)晴れの青空に、消(け)されてしまった出雲の人々のさびしい笑顔が浮かぶ、
「たずねてくれて ありがとう」
「30年 かかってしまいました」
「そうでしょう そうでしょう」
「やっと やっと 解けました 解きましたよ」
「ご苦労さまでした ありがとう ありがとう ありがとう」
遠い遠い、つらいつらい、ただ一筋の古代への旅であった。