The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

大國魂神社に行く 3

2017-05-08 21:34:21 | 世界経済
    
 徳川政権は、この神社に12通の御朱印状を与えていた。

 「御朱印」は、朱色の印肉で押した印であり、戦国時代以降、将軍・大名・武将が命令・公認の公的文書に用いた、特に、江戸時代は花押(かおう)の代わりに朱印を押した、だから、御朱印状が極めて重要な公的文書になる。

 徳川家とこの神社の親密な関係は、出雲族とのなんらかの繋(つな)がりを推測させてくれる。

 だから、京都の連中と仲が良くなかったのか、明治政府の徳川家に対する扱いは、痛烈であった、江戸の文化は成熟しており、将軍を中心にした共和制の方が良かったのではなかろうか、ルサンチマンと田舎者によって成立した明治政府はクソ・ミソであり、江戸のイキ・シャレ・ナサケを踏みにじっていった、最後の将軍は、
  このごろは あはれいかにと 問ふひとも  
        問はるるひとも なみだなりけり   

 薩摩と長州を結びつけたのは坂本竜馬だが、これを取り上げた司馬遼太郎は、まあー 見事に祭り上げてくれた、坂本龍馬、どんなヒトか、脱藩浪人がどれほどのことをできたのか、彼があれほど活躍したのは、あきらかにイギリスのサポートがあったからで、彼は、イギリス利権の使い走りで、薩摩はイギリスから手に入れた新式の銃を使い、「鳥羽伏見の戦い」では、会津の若者たちを追いつめ。
 「橋の下で みんな討ち取ってしまったよ」

 だから、この殺戮(さつりく)の間接の下手人は、坂本龍馬になるだろう。

 小さい頃から鍛錬に鍛錬を重ねた少年や若者が、新式の銃によってムシケラのように殺された、土佐の田舎もんには、侍の美意識など分からなかったんだろうネ。

 維新が達成すれば、秘密を知り過ぎた者はジャマになる、どちらが手を下したか、両方かもしれない。