昭和7(1932)年の5・15事件の際、青森連隊の秩父宮が、急遽、上京している、宮を押すグループがいたのだろう、宮はタイヘンな人気があった、
「明治天皇の英邁(えいまい)な資質を継いだのは この宮さまである」
スターリンを罵倒(ばとう)するヒトラーの面前で、
「一国の代表を そのように悪しざまにののしること それは いかなる理由があるにせよ」
「・・・」
「一個の Gentlemanのなすことでありましょうか」
満場、寂として声なし、
「東洋に 1人の貴公子あり」
母の貞明皇后(1884-1951)は、
「順逆を誤ってはならぬ」
「国家大乱の原因となる」
だから、そのままで、軍部の独走は暴走になり、あの大戦になだれこむ、大権には、
「軍のトップを解任することもできたはずだ」
あるいは、側近や侍従も篭絡されていたのか。
「あんなに戦線を広げ しかも いくつもの戦闘・・・」
これでは、
「勝てる戦争も 勝てない」