Okamoto Tarou introduced the Jomon culture to the world ,
He was rare person among so-called "Interi" of Japan .
He might have his eyes which can understand the value of art .
うすぐらい部屋の片隅に「火炎土器」があった、
「こんなとこにおいちゃあ いけないな」
それでも凛(りん)としている、
ここに ニッポンの青春があった
ここに ニッポンの真実があった
時間と空間をつきやぶり
原子と法則をつきくずし
因果のクサリをひきちぎる
そこでこそ
タマシイは 自由になる
タマシイは 解放される
たたえよ
たたえよ
ジョーモンの Picasso を
ジョーモンの Picasso を
その夜、ユング心理学の秋山さんに電話すると、
「太郎ちゃんも やってたわよ」
太郎ちゃんは、岡本太郎、私が、
「ユングとジョーモン どっちが大きいでしょう」
「そりゃあ ジョーモンよ」
「・・・」
「ユングで食べていけるから ユングをやっているだけよ」
しゃあーしゃあーとしていた。