桓武天皇 (781~806)の母・高野新笠は渡来人の子孫、百済系だろう。
ところで、東北アジアの騎馬民族が南下して、半島の東のハシに国を作り、さらに海を渡り、日本列島を目指す、どのくらいの人数だったか、ずいぶん残酷なコトもしたんだろう、私が注目するのは「頭脳集団」、彼らこそが、この列島の歴史を蹂躙したのだ。
その頃は、百済本社・大和支社、それが、大和本社に百済支社、緊密な関係があった、百済は新羅とは違い、二字姓が多い、あの大学院に、「余語」という学生がいた、父親が有名な禅僧、
「臨済宗の僧侶が 一目置いていた」
日本と百済の連合軍が、唐と新羅に大敗したのは663年、列島のグループは、それから、
「こちらだけで やっていかなければならなくなった」