日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

アンリ・ファルマン複葉機

2017年04月09日 14時02分10秒 | ひこうき雲

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先日、妻がDS行きの日、私は 「所沢航空発祥記念館」 を訪れた

この記念館にはかつて私が実際にテストしたジェットエンジン (J3-IHI-7B) やターボシャフトエンジン (T58) 二基が展示されているので、時々そのエンジンが見たくなって年に二、三回訪れている

その日はそこに二分の一模型の 「アンリ・ファルマン複葉機」 が展示されているとの情報を聞いたので、それを見るのが楽しみだった




所沢飛行場での初飛行の歴史を見ると、明治44年 (1911年) 4月5日の早朝に開始され、徳川好敏大尉が、フランスの飛行機 「アンリ・ファルマン複葉機」 で、高度10メートル、飛行距離は800メートルで、所沢の住民はもとより、多くの見学者が飛行を一目見ようと近在各地から集まったとのことが記されています




当時の操縦士はジェントルマンだったのか、スーツ姿にネクタイと正装して操縦したのだろうか?




エンジンはグノーム空冷回転星型7気筒で50馬力の出力だった
この燃料タンクで4時間飛行できたそうだが、飛行機のタンクとはちょっと思えません




草原の滑走路からこの車輪で離着陸、難しい技術が必要だったことでしょう




天井には原寸サイズのアンリ・ファルマン複葉機も展示されています
日本の航空黎明期にはこのような機体が活躍していたとは想像もつきません

もし、今の巨大な旅客機を徳川好敏大尉が見たらどのような感想を述べるでしょうか?





    写真説明: アンリ・ファルマン複葉機    撮影場所: 所沢航空発祥記念館 (撮影日: H290302)



国産ターボファンエンジンの飛行試験

2017年02月14日 10時48分12秒 | ひこうき雲

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写真説明 : 只今、日本海上空を飛行中
  
撮影場所 : 航空自衛隊のチェイサー機が撮影 (1984年2月)
  


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●  赤とんぼ の 独り言  ●

毎年二月になると想い出すことがある

それは昭和五十九年二月から四月にかけて航空自衛隊岐阜基地 (岐阜県各務原市) で実施された 「国産ターボファンエンジンの飛行試験」 の想い出だが、この頃、私は好きな飛行機に搭乗して、毎日が夢のように過ぎていった

これは当時の通産省が主動しての国家的大型プロジェクトの一つが 「国産ターボファンエンジンの開発」 で、私は最初からこのエンジン開発に携わることができた

開発エンジンは地上での運転試験が多いが、高空での性能を確認するために航空自衛隊のC1輸送機の右主翼に開発エンジン (FJR710/600S 写真左のエンジン) を搭載しての飛行試験だった

通常機体にはエンジンの数は左右対称だが、写真のように右主翼に二基、見えないが左主翼は一基で、三基搭載の非対称型の機体は珍しいことです

勿論、機体の推進力は二基のメインエンジン (P&W 社製 JT8D) で飛行し、試験空域で開発エンジンを操作して飛行する。変則的なパワーが発生して機体もスライドするだろうから、パイロットにもそれなりの技倆が要求される飛行だったはずだ

岐阜基地を離陸した機体は北上して間もなく 「九頭竜ダム」 上空を通るが、冬の時期なので真っ白に氷結している光景は見事な地上の姿だった

その後、能登半島の輪島上空を通り、日本海上空の指定された空域で一時間ほど試験して帰投する。毎日のミッションが二時間の飛行だった

この機体内にはデータ取得のため多くの計測器などがセットされ、十数名の計測員が同乗していたが私もその中の一員で、主に 「エンジン関連機器」 の監視を担っていた

試験飛行には必ず自衛隊の復座型機が随伴して監視していたが、この写真はこの随伴機から撮影したものです

妻は私が飛行機に乗ることを案じていたようだが、試験前の安全教育では教官の自衛官が 「この時期、日本海に放り出されたら二分でお陀仏です」 とのジョークめいた言葉には少し心配になりました

遠い昔のことだが、四十二年半の会社勤めの中で最も印象に残る仕事の一つがこの 「国産ターボファンエンジンの飛行試験」 に参加できたことだった





街中にエンジンが?

2017年02月04日 14時27分01秒 | ひこうき雲

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  写真説明 : 二基のエンジン
  
  撮影場所 : 街中にて (撮影: H290203)
  


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●  赤とんぼ の 独り言  ●

空堀川沿いではいつもは通らない左岸を上流に向かって歩いていたら、ある場所に街中には似つかない物体があってびっくりした

それは写真のように 「航空機用レシプロエンジン」 が二基、置かれていた

こんな所に何故エンジンが? と私は(いぶか)しげに近付いて眺めたが、紛れもなく本物のエンジンだった

近くの建屋で作業していた男性に 「写真を撮らせてください」 と頼むと 「どうぞ」 と返事を貰った

この男性の話によるとこの敷地のオーナーは飛行機好きとのことで、実際に自分でセスナ機を所有してフライトしているとのことだった

何故このようにエンジンを野晒(のざら)し状態で置いてあるのかは、この男性にも判らないと言っていた

私はレシプロエンジンについては経験は無いので、このエンジンがどのような名称なのかは判るはずもなかった

だがどのエンジンでも必ず身分を証明するような仕様事項が刻印された銘板(めいばん)が取り付けられているはずだからと探したらやはり二基とも確認できた

その銘板の刻印事項を頼りにネット検索したら次のようなことが判った

左のエンジンは、アメリカ・ライカミング社製の MODEL:GSO-480-B1A6 で、水平対向6気筒エンジンで340馬力の出力だった

右のエンジンは、アメリカ・プラット・アンド・ホイットニー社製の R-985-AN--14B で、9気筒単列空冷星型エンジンで450馬力の出力だった

両エンジンともアメリカ合衆国の航空機に幅広く搭載された実績があることが判った

でも街中にこのようなエンジンが置かれていても、関心を持つのは私くらいだろうが、かつては空を飛び交っていたこの二基のエンジンも冬の寒風の中では少し冷えすぎるのではないかと心配になった





青空 と ひこう雲

2016年12月12日 14時54分01秒 | ひこうき雲

好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : ひこう雲
  
  撮影場所 : 空堀川左岸にて (撮影: H281212)
  


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●  のぶまつの独り言  ●

今朝の気温は今季最低のようで6時前の外気温はマイナス4度もあったが、10時過ぎにはいつものように妻と歩いて家を出て買い物に行った

買い物が終ると裏道を通って間もなく大沼田橋の手前を右折した所で少し休んで水分補給する

ここで周囲を見ると、南側は空堀川越しに住宅街だが、北側は見渡す限り雲の無い青空が広がっていた

すると東方からひこう雲を従えて遙か上空を一機の航空機が西方へ向かって飛行する姿が青空に映えている

この機体は成田空港を離陸した双発旅客機のようだが、もうオートパイロット・レンジで飛行しているのだろうが、高度は九千メートルくらい、時速は900キロ近いはずだ

どこを目指すのかは判らないが、紺碧の青空を進む姿は無限の大空にはぴったりの光景だ

だがこの光景を見た私は、先日、ブラジルのサッカーチームを乗せて墜落した航空機のことを想い出した

今は事故調査中だが、メディアなどの報道によれば 「燃料切れ」 が原因との説もあるが、墜落した時に火災も起きなかったことがそれを裏付けているようだ

 「ガス(けつ)」 が原因で航空機が墜落するなんて信じられないが、過去にもそれが原因での事故があったから、人間が機体を扱う以上は 「ガス欠による墜落」 はこれからも発生することを防げないだろう

また青空を飛んでいる機体を見たが、私はもう11年以上も航空機に乗っていない
地上から飛んでいる機体を見るのではなく、搭乗して窓際に座りながら下界を眺めて見たいものだ





大韓航空機の事故

2016年05月29日 14時48分26秒 | ひこうき雲

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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

離陸中の B777-381
(ANA JA757A)

第二ターミナル展望デッキにて
(羽田空港 H201029)



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27日、羽田空港で離陸滑走中の大韓航空機 (ボーイング777、通称トリプルセブン) の第一エンジン (正式にはターボファンエンジン) から出火、同機は滑走路上で緊急停止するトラブルが発生した

航空機事故ではエンジンが原因で起こる確率はあまり高くは無いが、この事故は明らかにエンジンが原因であると思われる

永年、民間企業でエンジンのテストを経験した私は、テレビニュースなどの画像から 「これは高圧系タービンが損傷し、その部品がエンジンのケーシングを突き破った」 と推察した

その理由として、低圧系のファンブレード (エンジン前方に見える) が損傷していないようだし、飛散した部品によりエンジンを覆うカウリングの後部が一部脱落しているなどの状況からの私の推察だった

私は数えきれないほどのエンジンをテストしたが、高圧系タービンが飛散した不具合は経験していない。ただし、ある開発エンジンではテスト中に低圧系のファンブレードが飛んだことは経験している

今日の朝刊社会面には運輸安全委員会の調査で 「大韓航空機 タービンの羽根破損」 が判ったと伝えている

このように説明してもエンジンの構造は理解できないであろうが、ターボファンエンジンでは以下のようなモジュール (部品を組み立てた集合体) が軸流的に組み付けられている

エンジン入口 → ① 低圧系圧縮機 (ファンブレード) → ② 高圧系圧縮機 → ③ 燃焼室 → ④ 高圧系タービン → ⑤ 低圧系タービン → 排気ノズル

② と ④ はシャフトで連結され、① と ⑤ もシャフトで連結しているから、一基のターボファンエンジンはこのように低圧系と高圧系の二つの回転体が存在し、おのおの違った回転数で作動している

従って私たちが空港でエンジン前部を見ること (時には風によって緩やかに回転している) があるが、それは ① のファンブレードだけで ② 、③ は目視できない

 「タービンはどんな仕事をするのか?」 と疑問もあろうが、 「タービンは圧縮機を回すのが仕事です」 と理解してください

即ち、高圧系タービンは高圧系圧縮機を回転させ、低圧系タービンは低圧系圧縮機を回転させている訳です。そのため、燃料さえ供給すればエンジンは限りなく連続運転可能です

大韓航空機のエンジンが何故、損傷したのか? 運輸安全委員会の調査報告が待たれるが、一つは内部異常による部品の脱落、または離陸中はエンジンはフルパワーにセットしているが、そのセットに異常があったのか? 近々にエンジンの換装などが無かったのか? と疑う項目は山ほどあるはずだ

因みに 「ファンブレードが損傷したら、機体に付き当たるのでは?」 との危惧もあるだろうが、それを防止するためにファンブレードが回転するエンジン外周には 「コンテイメント・バンド」 と呼ぶ部厚い金属が組み付けられて外側に飛散しないような措置が講じられている

私のこの説明ではあまり理解できないでしょうから、もっと知りたい方は 「ターボファンエンジン」 と入力してネット検索してください

写真は事故のあったC滑走路を離陸するANAのトリプルセブンです。平成20年11月に撮影したものです






「U-125 墜落事故」 異聞

2016年04月11日 15時03分46秒 | ひこうき雲
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

駐機中のブルーインパルス

航空自衛隊入間基地にて
(撮影: H201103)



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6日、鹿屋基地北方で消息を絶った航空自衛隊入間基地所属の双発ジェット機 「U-125 (49-3043)」 は残念ながら山中に墜落、6名の乗員が亡くなった

機長は6,000時間の飛行時間を有するベテランだったが、さらにその機長はあの曲技飛行チーム・BI (ブルーインパルス) で一番機を操縦した経歴の持ち主だと聞いた

BIのパイロットはエリート中のエリートの集まりで優れた飛行技術を持っている。その中でも一番機のパイロットは編隊長だから、飛行時は後続の機にも配慮しながら全体に指示をするそうです

飛行中スモークや旋回・横転・散開などのタイミングを無線で伝えるのを 『ボイス』 と言うそうだが、1番機のパイロットはボイスを出しながらの操縦は非常に難しいらしい

ただしBIは6機編隊だが、どのポジションでも非常に高度な飛行技術が必要とのことです

そんなBIでの輝かしい経歴を持つ機長でも事故に巻き込まれるとは不幸な巡り合わせであるが、 「ベテランでも事故に遭い、事故を起こす」 との多くの事例はは安全の世界では当たり前の教訓でもある

それにしても優れた6名の航空自衛隊員が殉職した。心から哀悼の誠を捧げます






6人乗り空自機不明

2016年04月07日 20時46分44秒 | ひこうき雲

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

U125 (49-3043)

航空自衛隊入間基地にて
(撮影: H201103)



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6日午後2時35分頃、航空自衛隊入間基地所属の双発ジェット機 「U125」 が海上自衛隊鹿屋航空基地近くの上空で消息を絶った

悪天候の中、捜索は難航しているが、ネットなどからの情報によれば20時現在、新たに三人の乗員が心肺停止の状態で見つかったとのことです

原因は今後の調査に任せるとしても、一刻も早く他の乗員の安否を確認ができることを願っています

私は平成20年11月3日に行われた 「入間基地航空祭」 でグランド駐機中の当該機体 「U125 (49-3043)」 を偶然撮っていた

 「U125」 は航空自衛隊が運用している飛行点検機 (航法施設検査機) で、航空航法設備などの動作点検を行うことを目的としており、自動飛行点検装置を搭載している。入間基地の飛行点検隊に配備されており、飛行点検隊の他機と同様に白と赤を基調とした塗装がなされている

この写真の機体が山中に墜落するなんて想像すら出来ないが、不幸にも事故が起きてしまった

昨日、私は所沢航空記念公園を散歩したが、10時過ぎ、公園上空で一機の 「U125」 の飛行を見ている。もしかしたら遭難した機体が入間基地から鹿屋基地に飛んで行ったのではないだろうか? と、想うのだが私の勝手な憶測かもしれない。遠景なので機体番号は確認できなかった





コンコルドの想い出

2015年11月18日 09時45分19秒 | ひこうき雲
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

C1 & T4

航空自衛隊入間基地
(撮影: H201103)



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パリで13日夜 (日本時間14日未明) に発生した同時テロで市中心部の劇場やレストラン、郊外のスタジアムなどが武装グループの襲撃を受け、多くの人が犠牲になった

他国で起きた事件とは言え、あまりにもショッキングな出来事に私も言葉を失った

同時にまた起こらないか? 日本でもあのようなテロ行為が起こらないのか? などの不安が(よぎ)った

何故このようなテロ行為が起きるのか? テレビなどでも中東情報に詳しい方々がいろいろな解説をしていたが、ヨーロッパとイスラム諸国の人々の価値観が真っ向から違うことが浮き彫りになったようだが、元を正せばイラク戦争の失敗などが尾を引いているのではないだろうか?

かつてヨーロッパ諸国が先を争ってアフリカの国々を植民化したことを考えると、それなりにヨーロッパ諸国には歴史上の責任があることも確かだ

それにしても一度に百人以上の人が命を奪われるなんて、どう考えても理解できることではない

この事件後、アメリカのある高官はこのテロ行為に対しては 「正義と野蛮の戦いだ」 と談話したが、全くその通りの許し難い悪行に他ならない

フランスのパリと聞くと、私にも懐かしい想い出がある

1977年9月、会社業務でイギリスへ出張した。そろそろ帰国の話も出た頃、、土、日曜日を利用して同僚四人でパリ見物に行くことになった

10月12日、フランスのドゴール空港に到着。そこにはあのコンコルドが駐機していた。その姿を飛行機好きな私は感激しながらいつまでも見ていた

通関手続きに入ったが他の三人はすぐに許可されたが、私の番になったら 「待て」 のサインが出て足止めされてしまった

 「何で、俺だけが?」 と、不安だけが募ったがフランス語が判らないので戸惑うばかりだった

だいぶ時が過ぎてから通関できたが、フランス語が話せる同僚が係官に抗議すると何んと 「日本赤軍メンバーに似ていたので情報照合していた」 とのことだった

 「えっ?」 と私もびっくりしたが、こんな善良で真面目な日本の男をそんな目で見るなんて許せんと、それ以後申し訳ないがフランスを嫌いになってしまった

それは38年前の話だが、その頃でもセキュリティには力を入れていたのだが、今と違ってまだまだ緩やかな通関検査だった

それにしても私と似ている 「日本赤軍メンバー」 とは一体誰なのか? だいぶ気になったがいつかは自然と忘れてしまったが、今回のパリでのテロ行為でまたそれを想い出してしまった

パリでは凱旋門、エッフェル塔そしてノートルダム寺院とかを見学したが、あまり印象に残っていない。しかし、駐機していたコンコルドのスマートな機体の姿はまだ鮮明に覚えている。あの細身の機体で超音速で飛ぶなんて信じられない美しい姿だった

話を前に戻そう

今回のテロ行為では多くの人が犠牲になった。人間はなぜこのようにいがみ合っているのだろうか? 地続きのヨーロッパと島国の日本とは多くの事情が異なるが、東京でテロ行為が起きる可能性を否定すること無くテロ対策に取り組むべきであろう






MRJの初飛行

2015年11月12日 14時19分13秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

Take-Off する MRJ

自宅DKにて
(NHK 総合テレビから)



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昨日、国産ジェット旅客機 「MRJ (三菱リージョナルジェット)」 が初飛行した

最初の計画より大幅に遅れた初飛行だったが、戦後初のプロペラ旅客機 「YS-11」 以来約半世紀ぶりの国産ジェット旅客機だから日本の航空機産業の発展につなげる期待が高まっている

だが航空機は飛ぶのが当たり前だから初飛行を喜ぶのは筋が違うと思わねばならないし、新入りの航空機が量産に入るにはさらに数百の厳しいテストに合格しなければならない義務が待ち受けている

私は機体のことはあまり判らないが、ターボファンエンジン (ジェットエンジンの一種) の開発に携わった経験からすると、厳しい幾多のテストをクリアしないと量産ベースに乗らない壁が幾重にも立ちはだかることに驚いたものだった

おそらくはエンジン以上に機体は更に厳しいテストがあるはずだから、量産への過程は厳しく前途多難と言えるだろう

MRJには約100万点の部品が使われているが、約7割は海外メーカー製。そのため航空ファンの中には 「MRJは純国産ではない」 との声もあるようだ

確かに最も重要な部品であるエンジンも米国プラット・アンド・ ホイットニー社製の 「PurePower PW1200Gエンジン」 ですから、国産と言うならエンジンも国産品を使って欲しかったです

テレビでMRJの機体を見た私の第一印象は 「スマートで整った機体だ」 と思った

私は旅客機の飛行姿にはあまりスマートさを感じないのだが、かつてJALで就航した 「ダグラスDC8型機」 の飛ぶ姿だけは好きな機体だった

昨日、MRJの飛行姿を見ていたら、ふとそのDC8型機を想い出してしまった

現状の計画では2017年4~6月にMRJ量産1号機が全日本空輸に納入される予定だが、日本の航空機識別番号を付けたMRJが日本国内を飛ぶ姿を早く見たいと願っている





ホバリングでの人命救助

2015年09月13日 14時50分26秒 | ひこうき雲

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

空自のヘリ
(UH-60J 08-4571))

航空自衛隊入間基地
(撮影: H201103)



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記録的な豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、甚大な被害に見舞われた茨城県常総市での惨状は改めて自然災害の恐ろしさを知ることになった

発生時からテレビ中継などで家に取り残された人たちの救助の様子が放映されているが、それが現実の光景か? と思うほどの息詰まる瞬間だった

その立役者は警察、消防庁、自衛隊そして自治体などのヘリコプターだったが、どの救助シーンでもテレビを見る者が 「無事に助かりますように」 と応援したに違いない

だが普段は街中だった地域が水浸しになった家からの救助はそれなりの危険性も高かったに違いない

ヘリにとって最も注意するのは街中に張り巡らされた電線、触れれば大きな事故になってしまう

そんな光景の中で私が最も注視したのは病院や介護施設の建物屋上に自衛隊のヘリが着陸しての救助だった

それはその建物の屋上がヘリの重量に耐える構造になっていないのでは? との危惧だった

そんな心配の中で屋上に着陸したヘリは救助活動しているのが、私にとっては不思議でならなかった

だがその後、そのヘリは正式には着陸しているのではなく、地上から低々高度を保持しながらのホバリング状態だったとのことだった

 「ホバリング」 とは、上向きの推力と機体の重量がバランスして空中の一点に静止した飛行状態で、停止飛行とも言う

自衛隊側でもやはり屋上の構造強度を心配してホバリングで救助したとのことだった

しかし、このような環境でのホバリングは高度な操縦技術が必要とのことなので、そのヘリの操縦士も気の抜けない慎重な操縦での人命救助だったのだろう

取り残された人たちがワイヤーで吊りあげられてヘリに収容される光景は多くの人たちの感動を呼んだに違いない

被災された方々のご苦労も大変だろうが、救助活動をしている多くの関係者にも 「ご苦労さま」 と感謝するばかりです

写真は航空自衛隊のヘリ UH-60J  (機体番号: 08-4571) です。これと同機種のヘリが救助活動に参加したはずです






陸軍会式一号機

2015年08月27日 15時19分46秒 | ひこうき雲

今日妻はDSへ
私は独りで買いたい物があって 「所沢航空発祥記念館」 の売店へ行った




買い物を終えてから一階ロビーの天井に展示されている飛行機をじっくりと眺めてみた

その飛行機とは 「陸軍会式一号機」 で日本航空界草創期の有名機だが
そのレプリカがここに展示されている

 「陸軍会式一号機」 は明治44年徳川好敏大尉の設計・製作により日本で初めて作られた軍用機

この前年に代々木練兵場で日本で初飛行に成功した 「アンリ・ファルマン機」 を参考にして
より高い性能を持つ飛行機を作ることを目的として、所沢飛行場格納庫内で製作された




でもこの機体を見ていると、今の飛行機感覚が先走って
本当に飛んだのか? と、考えるような機体で
大がかりな模型飛行機のようにも見える構造だ

だた当時は最新鋭機だからその感覚に視線を合わせて見よう

先が尖った白い筒のようなものが 「操縦室」 だろうが
当時の操縦士はこのような吹き晒しの中で命懸けで飛んだのだろう




エンジンは 「グノーム回転星型7気筒」 で出力は50馬力だが
気筒が回転するいわゆる 「ロータリーエンジン」 で
このエンジンも当時としては最新型であったに違いない

エンジン後方に二本あるのが燃料タンクだが、これでも三時間も飛べたそうだ



今の飛行機のように揚力を増すためのフラップとかエルロンとかの
補助装置は無いから機体を浮かすにはそれなりの苦労が多かったことであろう

先が曲がったパイプは機体を支える後部車輪の役目をするのだろう

左右に二枚の正方形のプレートがあるが、おそらくは方向蛇でしょう




前輪は4個
450キロの自重を支える車輪設計も苦労されたことでしょうが
スポークの本数がかなり多いのも当時の技術のせいでしょうか




でも飛行機技術は凄いスピードで進化したと思います

あのライト兄弟がキティホークの海岸で人類最初の飛行に成功したのは1903年
この 「陸軍会式一号機」 が完成したのが1911年
そしてあのジャンボ機 (B747) が初飛行したのが1969年
一世紀も経たないのに、このレプリカとは桁違いの飛行機が誕生しました

日本航空界の草創期に活躍した ”飛行機野郎たち” が
今のジャンボ機やエアバス機を見たら何と言うでしょうか?



    写真説明: 陸軍会式一号機 (レプリカ)
    撮影場所: 所沢航空発祥記念館ロビーにて (撮影: H270827)




あれから30年 (日航ジャンボ機墜落)

2015年08月12日 06時02分02秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

着陸するボーイング747
(JAL)

第二ターミナル展望デッキにて

(羽田空港 H201029)



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1985年 (昭和60年) 8月12日、日本航空123便 (ボーイング 747-100型機 JA8119) が、羽田空港を18時に離陸、その12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の山中に墜落、搭乗員524名中520名が死亡した

旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数を出した事故であったが、私にはこの事故が人生の中でも忘れられない想い出となっている

そのニュースを最初、何処で知ったか?
私は隔離された病室のベッドの上で、10インチくらいのソニー・テレビでそのニュースを知った

私は6月過ぎから総合病院で入院療養中であった
4月、会社の定期健康検診で病状が判り、即入院することを余儀なくされた

 「入院しなさい」 との宣告は私には ”死” と同じように打ちのめされた冷たい言葉だった

この入院は私だけで止まらず、家族にも大きな負担を掛けることになった
特に妻はそれなりに見えない苦労を一身に引き受けて良く対処してくれたことを想い出すと、今でもそれに対する感謝を忘れたことはない

特効薬のお陰で病状も良くなった頃だったので、このニュースは衝撃的だった
翌日、墜落のニュースが報道される度に私の気持ちは揺れ動いた
 ”あのジャンボ機が墜落するなんて?” とても信じられないことだった

今日はあの日から30年目、犠牲者のご家族には簡単に時の流れを許せたであろうか?
 「あの事故がなければ?」 と、誰もがこの日のことを想い出すと涙するであろう

航空関係者は 「日航ジャンボ機墜落」 の言葉を想い出す度にこの事故から得た教訓を無駄にしてはならない

幸いにも私はその年の11月末に退院した
だが私の人生史の1985年版には 「入院」 と 「ジャンボ機墜落」 の出来事がはっきりと刻まれている

多くの犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます
                              合掌



以上の文章は昨年の今日 「あれから29年 (日航ジャンボ機墜落)」 のタイトルで投稿した内容を一部修正したものです







小型機 民家に墜落

2015年07月27日 16時57分07秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

朝日航空 セスナ208
(JA881A)

神代植物公園
(H201119 撮影)



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昨日、調布飛行場を離陸した5人乗りの米パイパー社製小型飛行機 「PA-46350P (JA4060)」 が墜落し、小型機と民家が炎上し、小型機の操縦士を含む男性二人と、民家にいた女性一人が死亡した大惨事になった

 「何故、墜落したのか?」 との疑問に早く答えを出してほしいが、誠に痛ましい事故になってしまった

でもこのような事故の時でも必ず記録をしている人がいるので、テレビ番組などでもビデオや静止画像などが放映されているが、そのようなシャッターチャンスはそうあるものでは無いから貴重な記録である

それとテレビ各社では飛行時間豊富な元機長などが、その経験からこの事故についてコメントしているが、どれも憶測なので真実の幕は閉ざされたままだ

それにしてもこの小型機は離陸してすぐに墜落しているが、離陸後のトラブル発生では住宅地に落ちないように操縦士も必死に回避しようとしたのだろうが、如何(いかん)せん高度が低く過ぎてなすすべも無かったのだろう

それと夏場での高い外気温でのエンジン出力低下も一つの原因では? と、ある元機長がコメントしたが一理あるはずだ

ネットで検索してみるとこの JA4060 機は過去にインシデント (緊急事態・危機の意) を複数回起こしているが、その中には札幌丘珠空港での着陸失敗 (H16) や、航空自衛隊入間基地上空での自衛隊機とのニアミス (H17) などが記録されているのが気になります

今日添付した写真は、私が平成20年11月19日 「神代植物公園」 に行った時、上空に飛来した 「朝日航空 セスナ208」 です

公園から1.5キロほど西側には調布飛行場があって、この機体は既に着陸モードに入っていて右ターンしながら滑走路に向かって飛行していると思われます

このような低空飛行の機体を見ていると、調布飛行場周辺は密集した住宅街があるはず。航空機は離着陸時の事故が多い実績から、もしこの付近で事故が起きたら大惨事になると、ふと頭を()ぎったこと憶えていますが、それが現実に起きてしまったことに驚いています

でも航空機事故の原因はヒューマンエラーが多い、もしかしたら簡単なミスがこの事故の原因かもしれません






頑張れ!! 「空美ちゃん」

2015年02月22日 15時33分43秒 | ひこうき雲

日暮らし通信
■□ 撮影場所 □■

航空自衛隊入間基地
(H201103 撮影)


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  エンジンインテーク




  エンジン右舷






先日、我が家に妻の知人女性がやって来た

三人で雑談の花を咲かせたが、その女性が 「下の娘は将来的に飛行機関係の仕事をしたいと言っている」 との言葉に、飛行機好きな私はすぐ反応した

その女性は私が飛行機好きだとは知らなかったようで、私が 「中学生の頃から飛行機が好きで、会社でも42年半ジェットエンジンの仕事をしてきました」 の言葉にびっくりしたようだった

その娘さんはかなり飛行機が好きなようで、上空を飛んでいる機体の名前を知っていたり、あちこちのエベントにも参加しているようだた

趣味と仕事が一致すればよいのだが、そんなチャンスはあまりないだろうから、私の場合はすこぶるラッキーなことだった

だが飛行機関連の仕事と言ってもたくさんの業種があり、おまけに条件もあるだろうからなかなか難しいことらしい

良く知られているのはCA、整備士そしてグランドサービスマンなどだが、何とか頑張って夢を叶えてほしいと願っている

今はいろいろな分野に女性が活躍するようになったが、身近なことでは西武鉄道でも車掌さん、運転手さん、そして駅員さんとその姿を見るようになった

女性の趣味も多彩で森ガール、山ガールや、鉄道好きの女性 「鉄子」 などに続いて、いま飛行機好き女性たちが増えているようでその人たちを 「空美ちゃん」 と呼ぶとか?

空港には飛行機を撮りにこの 「空美ちゃん」 がわんさと押し寄せているそうです

 「空美ちゃん」 の皆さんへ

機体を見るばかりで無く、大事なエンジンにも興味を持ってください

貼付した写真は航空自衛隊・C1輸送機に搭載されている 「JT8D ターボファンエンジン」 です

このエンジンも私がテストしたことがありました





青空 と 飛行雲

2015年01月16日 14時06分44秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトルと撮影場所 □■

飛行雲

空堀川沿いにて



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




昨日降った雨のお陰で今日は空気も潤っている。そして快晴。西からの風がやや吹いているが寒さを感じるほどでもない

10時過ぎ、買い物帰りに妻と空堀川沿いを散歩していると、視界一杯に青空が眩しいほど広がっている

その青空で北西に向かって直線を描いている飛行雲あり

急いでレンズをズームアップして撮ったが、デジカメの2.5インチの液晶画面では小さくて何が何だか識別できない

パソコンで拡大して見ると、四発エンジンなので二本ではなくて四本の飛行雲だった

でも四発の航空機とは珍しい

ジャンボ機 (B747) はもうリタイアしたはずだから、もしかしたら成田を離陸したエアバスA380かもしれない

高度はおそらく約三万フィート (約九千メートル) 前後で、エンジン出力は巡航モード、勿論オートパイロットで飛行しているだろう

無限に広がる青空に四発ジェット機が飛び、そして飛行雲を残しながらひたすら飛行している

 ”おーい、何処へ向かって飛んでいるの~?” と、声をかけたくなった

空の青さによく似合う ”飛行雲” だった