世の中、悲惨な事故が起こる事が止まずに次ぎから次ぎへとその事実が新聞、テレビなどで報道されている。
昨年から行方不明だった女子大生が遺体で発見された出来事も 「何故、SNSで知り合った見ず知らずの男性に、何の目的で遠くまで足を運んだのだろうか?」 との疑問が残る。
だがこの事件に対する民放などは毎日のようにその内容を伝えているが、局によっては警察の捜査に値するような情報過多の内容もある。
一般の視聴者が何故そのような詳しい情報を必要とするのか? 少し加熱気味の内容なのは他に伝えるニュースが無いからだろう。
そして最も心が悼むのは千葉で小学四年女子の心愛 (みあ) さんが父親の虐待で命を落してしまったことだ。
今日、朝刊の社会面ではページの半分も使ってその検証の一部が載っていたが、最も非難されるのはその子が書いたアンケート用紙のコピーを父親に渡したことが、厳しく報道されている。
「秘密を守ります」 との合意で書いた心愛さんの答えが公開されたが、その文面を見ると大人でも描けない素直な告白文で読んだ人の涙腺が緩むような必死の訴えだった。
その約束を破ってそのコピーを渡した関係者たちは教育現場で働く資質に欠けている。
心愛さんの答えの文面の中には 「先生、どうにかできませんか」 との悲痛な訴えがあるが、先生はどうしてそれを受け止めてやれなかったのだろうか?
最も今の先生レベルでは生徒とのやり取りはこのような関係なのだろうか?
検証事実から判るのは行政側も学校側も心愛さんの心理状態を稀薄な事象としていたことに最大の難点がある。
今となってはどんな言葉でその対応振りを反省しても心愛さんの命が戻って来るわけではないが、この事件、あまりにも痛ましい限りでもある。
私がまだ理解できないのは、子に恵まれない人も多いのに、有り難く授かった我が子に何故このように虐待行為をするのだろうか? メディアの報道も多いがぜひ私にその理由を教えて欲しいものである。
まだまだやりたいことが沢山あった心愛さんだったであろうが、心からお悔やみを申し上げます。
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その使い方を間違うと・・・と何度も何度もいい続け
その約束が守れるならば・・という条件で買い与えました
この情報化社会のなかで生きていくのには
それなりの覚悟と勉強が必要です。
犠牲になった大学生には気の毒ですが
空きだらけの自分の責任も相当ある。
ただ何も知らない小学生の虐待については
許しがたい・・教育委員会も学校も担任も
全員を名前を晒して糾弾すべきです
この罪は、準殺人罪と同じです。
なんとも 悲しい世の中ですね
その命の短さに哀れさを感じてしまいます。
いつものように学校も教育委員会も行政も
そして児相も消極的な対応で憤りが増してきます。
「子は親を選べない」と、よく言われますが
それにしても虐待を繰り返していた父親は
これからは一生、その償いをしなければならないでしょう。
親の子への虐待、まだまだたくさんあるでしょうが
将来を担う子供たちを育てるのが親や大人の役目
関係者はもっと踏み込んで調査、対策をすべきです。
一昨日降った15ミリの雨ももう乾いてしまったようで
次ぎの雨を期待したいです。