日暮らし通信


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私のいじめ思考

2014年07月27日 19時51分23秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

小学生たちが植えた日々草

所沢航空記念公園



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今日の朝刊に小学生女子がいじめが原因と思われる自殺記事があったが、内容は大事(おおごと)なのに一段記事扱いとは少し不満だ。

小学生が自殺する? そのこと事態を理解できない私だが、いじめに遭って悩み、苦しんだ胸の内を私は共感することができそうだ

何故なら私も中学二年の時に厳しいいじめに遭ったからだ

私は貧しい家庭の子、そして標的にされたのは頭の小さな禿げた部分だった

小さい頃、私はよろけて倒れ、針箱の角に頭をぶつけて受傷、それが2センチほどの丸い禿げとなったが、母は 「私の不注意でお前に傷を残してしまった」 と、時々私に謝るように嘆いていた

その禿げをいじめっ子たちは私を責める格好の理由とした

休み時間になると必ず彼らのいじめが始まる。私はじいっと堪えて時が過ぎるのを待つしかなかった

いじめるのは三人。いずれも自営業の息子たちで裕福な環境の中で育っている

先生も誰も助けてくれない。当時はいじめという行為そのものが存在しなかったのだろう

でも私はそんなに苦痛だとは思っていなかった。 「馬鹿どもたちがまたか?」 と思ったこともなかったが、そのいじめの時間が過ぎるのをひたすら待っていた

当時、いじめなどが問題視されることもなかった。私も特別な感情はなかったように思うのが、現代の認識とはかなり違ったようだ

いじめから自殺? いじめられても私は ”死” という難しい選択を考えたことなど一度もなかった

いじめの時は厳しかったが、家に帰れば母親の温もりがあるから、耐えることができたのかもしれない

それが今どきでは若い小学生が簡単に死を選ぶようになった背景とは一体何なのであろうか?

そんな私へのいじめも三年になると学級替えがあって自然消滅、私も平穏なクラスの雰囲気の中で授業を受けるようになった

だがいじめを受けたことは将来忘れることはない

いじめたのは八百屋の息子のK、魚屋の息子のY、そしてリーダー格だった金物屋の息子のEと今でも忘れない

いくら誘われても中学の同窓会には行く気はしない

いつだったか? その三人が糖尿病で苦しんでいると聞いた

しかし私は 「ざまあ~みろ」 と喜びはしなかった

その三人が一度でもいいから 「俺たちがいじめた奴がいたなあ~」 と、振り返えれば私も許すことを考えるだろう

新聞記事にあった女子小学生へ

早く逝ってしまいましたね。私もいずれはその辺りに行くでしょう

そうしたら私とゆっくりお話しましょう、待っていてください






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3 コメント

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いじめ・・・は (ワイコマ です)
2014-07-28 06:57:13
子供の成長期に・・いじめ・・は 無くならない?? と
理解した方が判りやすいと・・思い直しました。
意地悪 悪ふざけ 競争 負け組勝ち組・・いろんな
要素の中でどこまでがいいのか、これ以上はダメ・・の
判断は子供たちには難しい・・それは大人も難しい・・
感受性は それぞれみんな大きな違いがあるので
同じ言葉でも・・100通りの受け止め方があるのですから
私の幼いころは・・さて どうだったのか 振り返って・・
みたいものです。
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いじめの度合い (牡丹)
2014-07-28 14:37:21
還暦のとき同級生が側に来て[俺00子のこといじめたな]
というのです。国土交通省の課長になって定年になった彼が盃を出して[ごめん]と。私は忘れていました。
でもいじめた人は覚えているんですね。

でも今のいじめとは違ってたような気がします。

もっと命の尊さを教えていくべきだと思いますね。
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優しさ (稗島千江)
2014-07-28 19:10:17
のぶまつさん、こんにちは。

のぶまつさんの一文を読ませて頂き、幼少の頃から、大人に
なり、結婚し親になり・・・と、その時その時の、気持ちのあり様
を考えていました。
戦後の何もない時代に、我が家ではパン製造に関わっていて
これが私へのいじめに繫がり、男子生徒から、いじめを受ける
ようになり、、身の危険を感じて、教師に直訴した経験がありま
した。その後は転々とした生活でしたが、2度の結婚で、沖
縄へ。二人の子供が物珍しいことや、沖縄ではいじめの対
象になっていたようです。
私のPTA活動の発端が子供が受けるいじめがあったから
でした。
子供により、私自身も、大きく成長して行った、と思います。

のぶまつさんには、優しいお母様の温もりがありました。
思うことは、何か問題が起こったときに、傍に心から信頼
出来る大人がいること、だと思っています。
二人の子供をいじめた子供は、それなりの理由があったよ
うで、(とても家が貧しくて、私たちが沖縄に来たとき、この
家に住んでいた子供でした。)私たち一家が転居してきた
ので追い出されることになってしまい、その怒りだった・・・
と解りました。(この家は祖父母のもので、困っておられた
子供一家に無料で貸していたのです。)

エネルギ-の持って行き場がなかった、こうすることで自
分の行き場のない思いをぶつけていたのでしょう。

今、心から、教育のあり方を考えないといけないのでは?
と思います。
何処まで本気で喧嘩し、何処までが許されるのか、その
限度を培っていく精神がとても大切に思います。

のぶまつさんのいじめの問題から、さまざまな心のあり方
を改めて見直しています。
何時も問題提示をしてくださいますね。
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