妻が二回目の入院をしてからこの六月でもう九年が過ぎたが、振り返るとその当時は私の精神状態も最悪だった
男だから取り乱すのは見苦しいと表面的には何事もないように振舞っていたが、妻の入院による内心の混乱は尋常ではなかった
その混乱は思わぬことで徐々に私を苦しめて現実化していった
その始めはスーパーの駐車場で、ドアを閉める時、右手を置いた場所が悪かったから、右手中指をドアで挟んでしまったが、指の先端を傷めるとそれは極端に飛び上がるほどの痛みを感じた
普段、注意深い私だからそのように指を挟むなんて考えられないことだった。この時、私は何か知らないが妙に挫折感を味わったように情けない気持ちになってしまった
注意しなければと自らを抑えようとしたが、また思いがけないことが起こった
病院から帰って夕食を作ろうとまな板の上で野菜を刻んでいた時、包丁で左手中指を切ってしまった。このようなことも始めてだった
勢いよく出る赤い流体、どうも止まりそうもない。私は慌ててどうしようもなく、ただただティッシュペーパーで中指を抑えるしかなかった
”困った、困った” と更に慌てふためいたが、ふと近くに住む娘に電話でSOSを発信することを思いついた
”とりあえず、左手を高くしてみたら” との娘の声は天からの救いそのものの響きが込められていたようだった
上記二件の出来事が起きて、私は明らかに平常心を失っていると感じるようになった
だが私にはその裏に隠されている何かを理解するだけの余裕は無かったようだ
さらに思いがけない事が起こった
入院中は毎日病院に行った
ある時、病院のトイレに行った時、何故かステテコの前が開いていないことに気付いた
私は夏の時期は、外出する時だけステテコを履くのだが、どうもその時前後を確かめなかったようだ
このことは私を苦しめたが 「心しないと危ない」 と、ある危機感を持つようになった
今から考えると、このような出来事が起きても、毎日乗っている車の事故が起きなかったことは奇跡のようだと私は感謝した
あの当時は確かに私のバイオリズムも最低で苦しかった。だが今、それを振り返ってもその苦しさを忘れている
それが人生だと思った。いつでもその時の苦しみを引きずって生きていたら人間は前に進むことはできないはずだ
もう九年が過ぎた。短いとも、永いとも私には言えないが、いろいろなことが起きたが幸いにもそれがクリアされて、生きてきた
人間なんてそんな繰り返しで一生を終わるのだろうと私は観念した
「妻を介護する」 と言う私の人生での最後の仕事は、いったいいつまで続くのであろうか?
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やはり妻の入院は私にとってはかなりショックでした
ましてそれも二回目となると
ますます自分が判らなくなったようです
でも何事も天に運命を任すしかありませんでしたが
一刻も早い退院を願うばかりでした
その他いろいろなことも起こりましたが
もう大部分を忘れてしまいました
これからは私が生活の主体になるだろうからと
自分でもいささか諦めムードの中でも
気を確かにすることができました
今は妻も比較的に安定しているようで
私も少しは気を抜くこともできるようになりました
今まですべて奥さん任せでその家事やら
色々と大変でしたね でもよく考えますと
男は皆同じようなもので、皆あたふたして
すべてが手につかなく・・頭と手足が別な
行動となったり・・そんなことってたまにあります
私も同じでしょうが・・介護や 不測の事態は
いつもリスク管理をしているので少しは腹が
座っているかもしれません。
現実を見据えて・・自分の人生 奥様の人生を
しっかりと見極めて 生きていくことでしょうね