先ほどヘッドアップディスプレイなど最新のクルマの機能の記事を読んでTwitterで共有しました。それらが今後発展して実装されるわけですからすごいです。どうすごいのかを説明するのに昔のことを書くことにしました。
今のクルマ、スバルxvを3年前に購入したのは試乗で運転しやすかったのとアイサイトでブラインドスポット付きという条件で一番安いモデルだったからです。
今回は年最低5000kmというユルい目標で3年3ヶ月で25000kmです。
2年前、北海道に行ったときうちのクルマの前のバージョン、アイサイト2搭載のレンタカーにも乗ったのでうちのアイサイト3は2と比較すると本当に使えるレベルの運転支援です。
今のクルマでは上述の運転支援(ADAS)以外でも当然になっている大小さまざまなポイントを幼稚園時代から順番に。
幼稚園のとき中古の三代目(?)コロナを父が社宅の他の家族とシェアしていました。子供心にも「カッコいいクルマではない」と思った記憶があります。父は車体をピカピカに磨き上げたりはしませんでしたが出かけるときは羽はたきでホコリを払って必ずボンネットを開けてバッテリーとエンジンオイルとべルトをチェックしていました。セダンですから荷物が多いとトランクが閉まらずヒモでしばったりしていました。ワタシは後部座席に乗るとすぐに眠ってしまったそうです。
当時ならではのヒヤリ事例が1件あります。ある時走行中に後続車が横に並んで何か手振りで伝えようとしていました。それで路肩に寄せて停車したらワタシが座っていた側が半ドアでした。もし眠っていたらドアが開いて投げ出されていたかもしれません。当時はドアロックは前後4ドアそれぞれ押して閉めて引き上げて解除でした。半ドアの警告はありませんでした。
小学校3年生のとき行ったレバノンのベイルートでは前任者が乗っていたプジョー204か304?になりました。当時のベイルートではベンツのタクシーが多くプジョーの印象は薄いのですが内戦が始まるまでの短い期間にトリポリやシリア国境付近までドライブに行きました。そのとき怖かったのはクルマではなくところどころあった検問で機関銃を持った係がドライバーと同乗者を見て時々トランクを開けてチェックを受けたことです。
4年生からはギリシャのアテネに移り、そこでは日本から取り寄せたトヨタクラウンでした。なんとカセットテープが聴けるデッキがついていましたがシートベルトが付いていたかは覚えていません。
当然父の通勤に使用していました。4年間で2回戦追突事故が発生しました。1度は会社帰り渋滞で前のクルマに追突。軽微な事故でした。
2回目は家族で海水浴の帰り父がギリシャ語の看板を見て「パゴトってアイスクリームっていう意味だよね!?」と言ったと思ったら前のクルマに追突して母がフロントガラスに額をぶつけてヒビが入りました。(日本ではシートベルト着用義務は1982年)
ギリシャ国内はクレタ島やロードス島などフェリーにも乗っていろいろなところに行きました。そんな旅行中のあるとき石灰質の山の稜線に沿ったいろは坂のようなところを走っていたら父がハンドル操作を誤りクルマがクルッと半回転してしまいました。ほかにクルマは走っていなかったので衝突事故にはなりませんでしたが勢いが余っていたら転落していました。
結果的に小学生時代にクルマの怖さを身をもって体験することになりました。
クルマの怖さといえばもう1つ。
当時夏休みにオランダからベルギー経由でドイツまでレンタカーで家族旅行したときクレジットカードを持っていなかった父は一番安いルノーしか借りられませんでした。クラウンと比べると本当にラジオも何もついていない車でした。とはいえ合理的なフランスの実用車だと判明したのは高速道路ではキンコンのような警告音がずっとなりっぱなしでしたが140km/h位までスピードが出てもガタツキはそれほどでもなかったことです。それから思想が違うと思ったのはワイパーがフロントガラスから浮いていたので街中ではうるさかったのが高速ではガラスに密着してしっかり作動して機能を果たしていたことです。
「高速用にセッティングされているんだ」と感心しました。
そんな大衆車のルノーがアウトバーンで警告音を鳴らしながら必死に走っている横を次々とベンツやBMWがあっという間に見えなくなるスピードで抜き去っていきました。怖かったのはベンツやBMWのような高級車が事故って横転したり、ひどいものは完全にひっくり返ってタイヤがクルクル回っている現場に数件遭遇したことです。そんなスピードで自損してもキャビンが潰れているクルマはありませんでした。パトカーや救急車が駆けつけているのも見たので怪我の程度はわかりません。当時の技術では高スピードで走行中の車体のコントロールはドライバーの運転技術によるところが大きかったのです。
今のクルマは40年ちょっと前と比較すると坂道発進で後退しないだけでなく細かいところが進化して安定した走りになっています。
ですからxvに決めるまでいろいろなメーカーのクルマを見たのですが4年前の自動ブレーキは「自称」という程度のものが多かったので「クルマの操作性と安定性を高めるのが安全施策」という考え方が主流でした。
その結果高速での走行安定性も40年前から飛躍的に進化して昨年23歳女性巡査が寝坊し高速道路を175km/hでスピード違反で書類送検というニュースもありました。
そういうワタシも購入当初は「このクルマだとワタシでも100km/hで巡航できる」と思ったのですが最近は慣れて高速道路でふとメーターをみたらずいぶんスピードが出ていて驚いたこともあります。気を付けないといけないですね。
長くなってしまったので続きはまたの機会にアップします。
クルマの安全についての参考になれば幸いです。
今のクルマ、スバルxvを3年前に購入したのは試乗で運転しやすかったのとアイサイトでブラインドスポット付きという条件で一番安いモデルだったからです。
今回は年最低5000kmというユルい目標で3年3ヶ月で25000kmです。
2年前、北海道に行ったときうちのクルマの前のバージョン、アイサイト2搭載のレンタカーにも乗ったのでうちのアイサイト3は2と比較すると本当に使えるレベルの運転支援です。
今のクルマでは上述の運転支援(ADAS)以外でも当然になっている大小さまざまなポイントを幼稚園時代から順番に。
幼稚園のとき中古の三代目(?)コロナを父が社宅の他の家族とシェアしていました。子供心にも「カッコいいクルマではない」と思った記憶があります。父は車体をピカピカに磨き上げたりはしませんでしたが出かけるときは羽はたきでホコリを払って必ずボンネットを開けてバッテリーとエンジンオイルとべルトをチェックしていました。セダンですから荷物が多いとトランクが閉まらずヒモでしばったりしていました。ワタシは後部座席に乗るとすぐに眠ってしまったそうです。
当時ならではのヒヤリ事例が1件あります。ある時走行中に後続車が横に並んで何か手振りで伝えようとしていました。それで路肩に寄せて停車したらワタシが座っていた側が半ドアでした。もし眠っていたらドアが開いて投げ出されていたかもしれません。当時はドアロックは前後4ドアそれぞれ押して閉めて引き上げて解除でした。半ドアの警告はありませんでした。
小学校3年生のとき行ったレバノンのベイルートでは前任者が乗っていたプジョー204か304?になりました。当時のベイルートではベンツのタクシーが多くプジョーの印象は薄いのですが内戦が始まるまでの短い期間にトリポリやシリア国境付近までドライブに行きました。そのとき怖かったのはクルマではなくところどころあった検問で機関銃を持った係がドライバーと同乗者を見て時々トランクを開けてチェックを受けたことです。
4年生からはギリシャのアテネに移り、そこでは日本から取り寄せたトヨタクラウンでした。なんとカセットテープが聴けるデッキがついていましたがシートベルトが付いていたかは覚えていません。
当然父の通勤に使用していました。4年間で2回戦追突事故が発生しました。1度は会社帰り渋滞で前のクルマに追突。軽微な事故でした。
2回目は家族で海水浴の帰り父がギリシャ語の看板を見て「パゴトってアイスクリームっていう意味だよね!?」と言ったと思ったら前のクルマに追突して母がフロントガラスに額をぶつけてヒビが入りました。(日本ではシートベルト着用義務は1982年)
ギリシャ国内はクレタ島やロードス島などフェリーにも乗っていろいろなところに行きました。そんな旅行中のあるとき石灰質の山の稜線に沿ったいろは坂のようなところを走っていたら父がハンドル操作を誤りクルマがクルッと半回転してしまいました。ほかにクルマは走っていなかったので衝突事故にはなりませんでしたが勢いが余っていたら転落していました。
結果的に小学生時代にクルマの怖さを身をもって体験することになりました。
クルマの怖さといえばもう1つ。
当時夏休みにオランダからベルギー経由でドイツまでレンタカーで家族旅行したときクレジットカードを持っていなかった父は一番安いルノーしか借りられませんでした。クラウンと比べると本当にラジオも何もついていない車でした。とはいえ合理的なフランスの実用車だと判明したのは高速道路ではキンコンのような警告音がずっとなりっぱなしでしたが140km/h位までスピードが出てもガタツキはそれほどでもなかったことです。それから思想が違うと思ったのはワイパーがフロントガラスから浮いていたので街中ではうるさかったのが高速ではガラスに密着してしっかり作動して機能を果たしていたことです。
「高速用にセッティングされているんだ」と感心しました。
そんな大衆車のルノーがアウトバーンで警告音を鳴らしながら必死に走っている横を次々とベンツやBMWがあっという間に見えなくなるスピードで抜き去っていきました。怖かったのはベンツやBMWのような高級車が事故って横転したり、ひどいものは完全にひっくり返ってタイヤがクルクル回っている現場に数件遭遇したことです。そんなスピードで自損してもキャビンが潰れているクルマはありませんでした。パトカーや救急車が駆けつけているのも見たので怪我の程度はわかりません。当時の技術では高スピードで走行中の車体のコントロールはドライバーの運転技術によるところが大きかったのです。
今のクルマは40年ちょっと前と比較すると坂道発進で後退しないだけでなく細かいところが進化して安定した走りになっています。
ですからxvに決めるまでいろいろなメーカーのクルマを見たのですが4年前の自動ブレーキは「自称」という程度のものが多かったので「クルマの操作性と安定性を高めるのが安全施策」という考え方が主流でした。
その結果高速での走行安定性も40年前から飛躍的に進化して昨年23歳女性巡査が寝坊し高速道路を175km/hでスピード違反で書類送検というニュースもありました。
そういうワタシも購入当初は「このクルマだとワタシでも100km/hで巡航できる」と思ったのですが最近は慣れて高速道路でふとメーターをみたらずいぶんスピードが出ていて驚いたこともあります。気を付けないといけないですね。
長くなってしまったので続きはまたの機会にアップします。
クルマの安全についての参考になれば幸いです。
洗濯物を干すため窓を開けようとしたら見たことのない強烈な光が目に入ったので写真を撮りました(写真だととても小さく見えますが実際に見ると手前の球形の給水タンク並みの星形のように中心から八方に拡がる光の輪のようでした)ズームしたら光が弱まっていたので写真をみたら丸いアンテナか何かのようです