畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

大内氏館

2011-08-26 21:52:00 | 歴史
 戦国時代に大内氏の館があった山口県の龍福寺内において、遺跡庭園が発掘されたのを受けて、池泉庭園の復元整備が行われていたが、このほど完成した。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201108180047.html

 いいな~。山口も行きたいな~。まだまだ龍福寺は発掘調査が行われているみたいだからもうちょっと待った方がいいかも。位置的には大分県大分市の大友館も周りたいな。

過去の歴史の旅~其の5~

2011-08-26 04:44:00 | 旅行・観光
 2003(平成15)年1月、JR東日本は政府株の売却で完全民営化を達成し、記念として「JR東日本パス」を発売しました。新幹線乗り放題(JR東日本管内で1日1万円の切符)を利用して、2003(平成15)年3月8日に年米沢→仙台→盛岡と旅をしました。今回は仙台編です。さて、同じ日の午前中に山形県米沢市に行って大雪だったのに、こちらはよく晴れています。新幹線でかなりの距離を移動したということもありますが、奥羽山脈のせいか東北の太平洋側と日本海側の天気は変わりやすいですね。



 仙台城(別名・青葉城)と言えば、「伊達政宗」。仙台城跡にある「伊達政宗像」は人気スポットのひとつです。伊達政宗と言えば「仙台藩」で石高は62万石。東北の随一の都市仙台で東北で唯一の政令指定都市。「杜の都」とも呼ばれ、現在ではプロ野球球団である「東北楽天ゴールデンイーグルス」も本拠地を置く。そんな巨大都市の仙台の一番の観光名所が「仙台城」です。
 ところで意外に思うのは、仙台城に天守閣がないことです。これは焼失してなくなり再建されていないのではなく、62万石の大藩でありながら当初から天守閣がなかったと言われています。確かに本丸跡はあっても天守台はなかったです。そういった意味では、若干地味とも言えなくもありません。しかし、天守閣だけが城ではありません。特に戦国時代はほとんどの城で天守閣がありません。そういう城の歴史を調べてみるのも歴史学としては面白いです。



 写真の見事な石垣は、清水門跡の石垣です。せめて大手門などを復元してくれるといいのになあと思ったりはしますね…。



 この写真は三の丸東側土塁です。近世城郭なのにこのように土塁をしっかり生かしているところも仙台城の面白さの一つです。さらにここから仙台の街を眺めてみると…。

 見事な仙台の町並みが広がります。仙台城の別名・青葉城というのは、仙台城がある「青葉山」から来ています。仙台城は元々山城だったというわけですね。伊達政宗らしい、堅固な城だったということがわかります。



 仙台城にはなぜかお店がたくさんあります。レストランのほかにもカフェなどなど。観光客が多いからお土産物屋も繁盛することでしょう。当然お土産物には写真のように伊達関連のものも多いです。
 青葉城展示資料館、というのもあったのですが、この頃の私(2003年当時)は、安土桃山時代にあまり興味がなくスルーしてしまいました。日帰りの旅でまだ盛岡観光が残っていたため時間がなかったという理由もありますが、もったいないことをしたものです。


 さて、時間がないので、仙台城から仙台駅までタクシーで戻ることに。

 あっ!櫓があると思ってあわてて撮った写真です。1967(昭和42年)に復元された隅櫓がだそうで、政宗像と共に人気のスポットと言われています。仙台城には復元整備計画もあるみたいで、大手門の復元が計画されていると聞きます。復元が完成したらまた訪れたいなって思います。


 最近できた仙台城のスポットとして、「仙台城見聞館」(http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/guidance/)があります。2006(平成18)年にオープンしました。この施設では仙台城の歴史や発掘調査成果,石垣修復工事の映像等を展示しているそうで、より詳しく仙台城のことが知れそうです。2003(平成15)年当時にはなかった施設がオープンしているというのも再訪したい気持ちにさせられます。



過去の歴史の旅~其の4~

2011-08-25 04:44:00 | 旅行・観光
 今回も過去の歴史の旅を振り返りたいと思います。2003(平成15)年1月、JR東日本は政府株の売却で完全民営化を達成し、記念として「JR東日本パス」を発売しました。これは、2011(平成23)年の東日本大震災で東北応援のために発売した「JR東日本パス」と同様のもので、在来線・新幹線の自由席乗り放題、指定席も新幹線を含め事前に申請すれば2回まで取れて1日1万円というものでした。

 これを利用して、米沢→仙台→盛岡と日帰りで旅行しました。その米沢編を報告します。



 2003(平成15)年3月8日。東京では全く降っていなかった雪が降りすごく積もっています。東京はめったに雪が積もらないので、雪の装備もしていなかったので、靴がグチャグチャになってしまいました…。米沢の一番の行きたいところと言えば、米沢城!伊達政宗や上杉景勝の拠点でした。



 米沢城は非常にお城らしくありません。本丸を囲む堀はよく残っていますが、天守閣は元より、壮大な石垣も見当たりません。というのは、土塁を中心とした城だったらしいということもあります。また、上杉謙信を祭る上杉神社が本丸跡に建立され、武田氏の館跡にある躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた、山梨県甲府市)のようになっているという現況も影響しています。ですので、江戸時代の城!と思って訪問するとちょっと拍子抜けしてしまうかもしれませんね。



 上杉神社内では、上杉謙信だけが祭られているわけではありません。この銅像は上杉鷹山(上杉治憲)像があります。治憲は米沢藩9代藩主で、借金だらけの米沢藩の財政を緊縮財政と殖産興業によって立て直し、借金の返済を済ませたうえで藩の貯蓄まで蓄えた江戸時代の名君です(人物列伝「上杉治憲」参照)。このように米沢城は、戦国時代までの大名である伊達色はほとんどなく、安土桃山時代以降の大名である上杉氏をクローズアップしています。また、神社内には宝物殿として創設された稽照殿や旧上杉伯爵邸などもあります。



 さらに、上杉神社近くには「米沢市上杉博物館」(http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/uesugi.htm)があります。この博物館は、2001(平成13)年に開館したとても大きな施設で、いかに米沢市が上杉氏の史跡を観光として売りたいのかがよく伝わります。人口10万人程度である米沢市がこれほどの博物館を維持できるのか…とちょっと心配になります。
 展示はとても詳細で勉強になります。巨大な画面でデジタルグラフィックで開設したり、展示もただ見るだけではなく、中世の文書を実際に作る(折りたたむ)など展示の工夫が見られなかなかの見応えでした。



 米沢といえば米沢ラーメン。細縮れ麺としょうゆ味のあっさりスープがおいしい。縮れ麺だとスープがよく麺にからんでおいしかったぁ。


 最近は、戦国なりきりワールド「戦国の杜」(http://www.yonezawa-naoe.com/)という施設が米沢市に2010(平成22)年4月にオープンしました。米沢市は一層戦国・安土桃山時代の観光に力を入れているみたいです。ここは、前田慶次などのイケメン像があるなど、「歴女」に誘致に力を入れています。

過去の歴史の旅~其の3~

2011-08-23 04:44:00 | 旅行・観光

 長州藩と言えば言わずと知れた尊王攘夷派の牙城。その藩主は、毛利元就で有名な毛利氏。江戸時代の長州藩の居城となった萩城(山口県萩市)は1604(慶長9)年に毛利輝元が築いたと言われます。別名・指月城とも言われます。写真は、天守閣の石垣です。天守閣には山があるので、平山城でも山城的性格をもった城だと言えます。


 現在は、指月公園として整備されました。春には桜の名所と言われる公園です。城の構造をよく残しているのが特徴で、公園内を歩くときかなり広く感じられました。



 萩城から、萩城下に入ると城下町の面影がよく残っています。写真のような塀が江戸時代の雰囲気を感じさせます。ネットで調べると、このような路地のことを、鍵曲がり(かいまがり)と呼び、外敵の侵入や攻撃に備に入り組んだ道にしているそうです。



 訪れた2004年当時のことですが、市内ではいたるところで発掘調査を行っていました。写真のようにくっきりと石組みがでると、調査のしがいもあるだろうな…と思ったりします。しかし、発掘調査をする際は土地の所有者が行うことになっており、萩城下で住宅地を買う時は気を付けた方がいいかもしれませんね(笑)



 次に訪れたところは山口県山口市にある瑠璃光寺(るりこうじ)。この寺は、室町将軍の権力拡大政策を進める将軍・足利義満により「応永の乱」で征伐された大内義弘を弔うために、大内盛見がこの地に五重塔を建てたのが始まりと言う。



 同寺には大内氏との関係が深く、大内氏の礎を築いた「大内弘世」の銅像があります。



 この日の夜は下関で宿泊。下関と言えばやっぱりフグ。フグ刺しはとってもおいしかった。やっぱり触感がサイコー。テッサ(フグ鍋)は骨が結構あって食べづらかったなあ。


 この萩旅行は、会社の同僚と来たので、歴史ばかりの旅にはなりません。山口と言えばカルスト地形の秋吉台が有名ですね。草原にごつごつとした岩が見えた時にはビックリしました。鍾乳洞も素晴らしい絶景でした。


 この旅行では単独ではなかったので、残念ながら大内氏館があった龍福寺には行けませんでした。今は龍福寺は大内氏館の復元や本堂の改修に伴う発掘調査が進められているので、それらが終わった時に再び訪れたいなあ…と思います。

過去の歴史の旅~其の2~

2011-08-22 04:44:00 | 旅行・観光
 2006年8月15日に兵庫県姫路市にある姫路城に行ってきました。その写真が倉庫から発見されたので、ついでに公開します。現在は天守閣の修理中のようで、天守閣の外観を見ることができません。修理の様子を見学できるみたいですが。



 姫路城に行くために、駐車場に止めるとだだっぴろい空地がありました。説明版をみると、「家老屋敷跡公園」とありました。



 酒井藩時代の筆頭家老高須隼人が屋敷を構えていた所で、現在は往年の屋敷の姿を模したお土産物屋がありました。本城だけでなくこういうマイナーなところを味わうことができると嬉しいなあと思います。



 姫路城は日本の国宝であり、「世界遺産」に指定されています。室町時代は赤松領で、姫山(姫路)を治めたと言います。1580(天正8)年に秀吉が天守閣を築き近世姫路城の一歩となりました。公式サイト(http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/)によると、現在のお城の形に近くなったのは1601(慶長6)年の大改修によってと言われています。



 姫路城は、その外観の美しさから「白鷺城」とも言われます。姫路城を日本人が美しいと思うのは、やはりその白さ。そして戦火を免れ現存するという歴史からではないでしょうか。


 また天守閣だけではなく、その周りの櫓なども一体化された造形美とも言える美しさも日本人が好きと思える理由かもしれません。日本人は「城」というと、戦国時代の城より、天守閣のある江戸時代の城を思い浮かべる人がほとんどです。だから明治や戦災などで失われた城を、「せめて天守閣だけでも」と復興する場合は多いのが現状です。



 しかし、天守閣はあくまでも城の象徴や権威を示すだけで、防御性はほとんどありません。1615年の「大阪夏の陣」で、堀を埋められ天守閣だけになった大坂城は全く意味がなく、豊臣の滅亡になってしまったという例はあまりにも有名です。
 したがって、姫路城の魅力というのは、天守閣の素晴らしさもさることながら、それと付随した施設が当時のまま残っているという点ではないでしょうか。これは、ヨーロッパの現存する城とも同じような歴史性があると思います。



 近世城郭にそれほど興味がない私でも、「少なくとも一度は行きたい城」と思っていました。この大切な日本の遺産をいつまでも残していきたいです。