ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の稽古にて

2007-08-04 23:57:00 | 能楽
昨日の夕方、師匠に『一角仙人』の稽古をつけて頂きました。ツレ旋陀夫人役のKくんも ぬえとは他門ながら稽古に参加してくれ、また龍神役の二人の子方は、お母さん同伴で伊豆からわざわざ東京に来てくれたのです。稽古は順調に進み、また師匠からは何点かのご注意を頂いたけれども失態はなく、これまでの稽古の成果は着実に積み重なってきたように思います。

ただ。。

子方二人の稽古の進度が、正直に言えば段々と差が開いてきてしまっていました。とは言っても『一角仙人』の龍神という大役を勤める、その最低限のレベルはとっくに到達していて、素人の小学生としては驚異的と言ってもよい成果は出てきているとは思います。ここで ぬえが言うのはもっと高いレベルのお話。もう ぬえは彼女たちにそこまで要求しているし、彼女たちもたった一度の舞台を目標にがんばっています。

ところが不幸にも。。二人の子方に教えていると、残酷にも器用さとか カンを素早くつかむ能力にはどうしても差が出てしまうもので。。あえて実名を出しますが、ぬえの要求に機敏に反応できる明日香と、どうしても もう一つ ぬえの意図が伝わりにくい ありさ。昨日の稽古が終わったあとも、ついに ぬえは ありさ一人に集中して手直しする形になってしまいました。

悔しかったんでしょう。。すべてが終わって、さあ、伊豆へ帰ろう、というとき、ありさは ついに泣き出してしまった。。(いや別に ぬえがイジメたんじゃないですよ? ただちょっとしつこかったかも。。反省)

その翌日となる今日は ぬえが伊豆に赴いての稽古でした。前夜 帰宅した ぬえはずっと考えていました。どうやって慰めよう? ずうっと考えて、考えて。。そして ぬえは決心しました。「いや、優しい言葉をかけるのはやめよう」。苦しい事はわかっている。でも、いま泣かなければ、彼女は2週間後に迫った薪能当日に、もっとつらい思いをして、心にキズを作るかもしれないのです。

今日、ありさは笑顔で稽古場に現れました。ぬえは(そりゃつらかったが)彼女に言い渡しました。「正直に言えば、二人のレベルには差が開いてきてしまっている。でもあなたが“出来ない”とは思わない。コツひとつの事だと思うから、今日1日で ぬえがそれを徹底的に直してみせる。今日も泣くかもしれないけれど、泣くのは今日で終わりにしてみせる。ぬえについて来てくれ」。。ありさはハッキリと「はい。」と答えました。

そして始まった稽古。。ところが。。なんと直すところがほとんどない。。昨日注意して、それでも出来なかったことが、今日は出来ている。昨夜30分もかけて山のように与えた注意を全部直して来ている。泣きじゃくって帰ってから24時間も経っていないのに。。死にものぐるいでやって来たんだろう。。ぬえは手放しで喜んで、拍手して褒め称えてあげました。

。。そしたら、ありさ。。また泣いちゃった。。

いや、ホントによくやったと思います。その真剣さ、悔しさをバネに変えた力を ぬえは絶賛します。彼女もひとつ大人になったでしょう。。でも本番の舞台はまだ先。安心しちゃいけませんよ~~

ありさのことばかりお話したから、明日香の事も書きましょう。彼女は天分として優れたカンを持っています。ぬえの要求を敏感に感じ取って、その通りに身体を動かせるのは、人にうらやましがられる才能でしょう。

でも、彼女会う度に、次第に彼女自身の中で不安が強くなってきているのを感じます。おそらく彼女が失敗や挫折を知らないままにここまで稽古が進んで来た事に自分で気づいているからでしょう。2週間後に迫った大舞台。彼女はそこで最後にとんでもない破綻が、自分に牙をむいて襲いかかってくる事を恐れているのでしょう。。でも、その一番恐ろしい敵は、不安に追いつめられた心の中に巣喰うもの。稽古や舞台を楽しんでいる、ちょっと以前の気持ちを忘れないでほしいと願います。本当はそれが一番難しいのかもしれないけれど。。でも大丈夫。ぬえはキミを信じているから。

さて、今日の稽古が終わってから、当地の夏祭りを見物に行きました。この日、ありさは「しゃぎり」という神楽囃子のような郷土芸能の太鼓を打つのです。それを知っていた ぬえは、だからこそ今日の薪能の稽古が再び悲惨な結末を迎える事を恐れていました。。良い結果が出せて、ありさは心嬉しく「しゃぎり」に出演していました。ああ、本当によかった。

さらに ぬえはこの夜行われた伊豆長岡の花火大会を見物しました。ああ。。こんなに気取っていない花火大会もあるんだ。。うじゃうじゃとした人混みもなく、広い河原の堤防にゴロンと横になって、手が届くような高さに打ち上げられる花火を見上げていると。。ああ、幸せだなあ、と思いました。この花火大会は、文句なくこれまで ぬえが見た花火大会の中で一番良かった。。心に響きました。

郷土芸能が生活の中にちゃあんと生きていて、花火大会をご覧になるのも近所の方ばかり。東京に帰るために三島まで乗った電車は花火大会の帰りで珍しく混んでいたけれど。。三島駅に着く頃にはがらんと空いていました。。幸せってなんだろう。ぬえは「伊豆に住みたいな~」と心の底から思ってしまった。