ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

奇想天外の能『一角仙人』(その22)

2007-08-05 23:47:57 | 能楽
地謡「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。天地も響くばかりなり

この地謡の中でシテは枕扇をしていた葉団扇を下ろし、伏せていた面を直します。何事かが起きた事に気がついた、という感じでしょう。前述のように「被キ」を掛けていたときはここで「被キ」をハネ捨て、後見がこれを取り入れます。

シテ「あら不思議や思はずも。人の情の杯に。酔ひ臥したりしその隙に。龍神を封じ篭め置きし。岩屋の俄かに鳴動するは。何の故にてあるやらん

「龍神を封じ篭め置きし」のあたりでシテは岩屋の作物に向き直ります。すると岩屋の内から声が響き。。

龍神二人「いかにやいかに一角仙人。人間に交はり心を迷はし。無明の酒に酔ひ臥して。神力を失ふ天罰の。報ひの程を思ひ知れ

大小鼓が地を打ち、「天罰の」のあたりで太鼓がそれに加わり、すぐに打込を打って地謡に渡すところです。このところ、開演当初からずっと作物の後ろに隠れて登場していた龍神二人が声を揃えて謡い出すのですが、これがまた大きな問題を抱えていまして。。

今回の「狩野川薪能」のように子方二人が龍神役を勤めるときには、今言ったように岩屋の作物の後ろに隠れている事ができるのですが、大人がツレとして龍神を勤めることもあって、ところが岩屋の中に大人二人が隠れる事はとても不可能なのです。この場合は龍神役のツレのうち一人だけが岩屋に入って最初から舞台に出ていて、もう一人は楽屋の中で待機しているのです。そしてこの場面になると、楽屋に居残っていたツレの龍神は幕にピッタリとついて、岩屋の中のツレと声を合わせて謡う事になります。しかしこれが。。

どうしても装束、とくに鬘や頭を被っていると音は聞き取りにくくなるし、ましてや橋掛りの奥の幕の中と、大小前にある岩屋の中で謡うツレ同士お互いの声はほとんど聞き取れないのが実情です。だからこのやり方ですと、どうしても龍神二人の謡はバラバラになってしまうのですよねえ。。これがピッタリと合った龍神の謡は ぬえは聞いたことがありません。

その点、子方二人が岩屋の中にいる場合は、お互いは至近距離にいますし、囃子方もすぐ後方にいるわけだから、これは謡を合わせるのには願ってもない条件なのです。今回の薪能では伊豆の地元の小学生二人を龍神役に起用しているわけですが、この二人の謡の、絶妙に息のあったところは、ちょっと聴き物です。

観世流では『一角仙人』の龍神の役はツレ、つまり大人が演じるのが本来で、これを子方にする場合もある、子方にしても良い、という立場なのですが、どうやら聞けば他流ではこの龍神役は必ず子方が勤めることになっているようですね。すると観世流の場合だけが龍神の謡がバラバラになる危険性を常に持っているのかあ。。

『一角仙人』のほかにも『鶴亀』や『嵐山』など、ツレの役を大人が演じるか、または子方にするか、両様になっている曲はいくつかあります。子方を二人揃えるのが無理な事もありますし、難しい舞を舞わせるのに稽古が追いつかない場合もあるでしょう。それでも大人が演じるのか、子方が演じるのかでは舞台効果が全然違いますし、シテを演じる役者はこういうところも よくよく考えて番組づくりをしたり、曲目選定をしたりするのです。