ぬえの能楽通信blog

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『井筒』~その美しさの後ろに(その3)

2007-08-20 23:58:03 | 能楽
さて ぬえが『井筒』について解釈。。というほど大げさではないけれども考えているところは後に述べるとして、例の通り舞台の進行を見ていきましょう。

囃子方が幕から、地謡が切戸より登場してそれぞれの座に着くと、後見が井筒の作物を幕から運び出し、正先に据えます。井筒の作物の高さは腰より少し低いくらいでしょうか。竹で作った正方形の台「台輪」の四隅にやはり竹の柱を立て、その上に木製の井桁を組みます。そのひとつの隅、お客さまから見て奥の方の隅にススキを立てるのですが、これは演者の好みによって右に立てても左でもよい事になっていて、師家の型附にも
「井筒の作物 左か右に薄を付 正中先へ出す」と、ごくあっさり書いてありました。この型附では、うがって読めば「左側が本来だが右側に付けてもよし」とも読めるのですが、後シテの演技に大きく関わってくる決断ですから、シテにとってもじつはこの選択は大変難しいのです。

後見が引くとワキが幕を上げて登場し、その姿を見て笛が「名宣リ笛」を吹きます。この「名宣リ笛」ってのは叙情的でとってもよいですね。地謡に座っていても、本三番目物の曲で「名宣リ笛」を聞くのは ぬえはとっても好きです。この「名宣リ笛」、じつは単純な構造の譜でできあがっています。「中ノ高音」、「六ノ下」という、地謡が謡っている中でごくごく普通に吹かれるアシライ吹きの譜が演奏され、それまでにワキは舞台に入り、足を止めます。この後に短い「名宣リ笛」特有の譜が吹かれて、それに合わせてワキは今度は足を引き、笛が吹き留めるとワキは「これは諸国一見の僧にて候」などと名宣リを謡い出します。

「名宣リ笛」には「真」「行」「草」の違いがあって、その違いはすべて、このワキが足を引く時に吹かれる「名宣リ笛」特有の譜の違いによるものです。ワキが橋掛りを歩んでいる間は「真・行・草」の違いはありません。ただ、「真之名宣」のときにはワキは正中で止まり、「行」のときには常座と正中の間ほどのところ(太鼓座前ほどのあたり)、「草」は常座に止まるのです。それから「草」「行」「真」の順に足を引く際の譜の長さが長くなり、それにつれてワキが引く足数も違ってきます。

ちなみに「真之名宣」は『道成寺』『猩々乱』などの習物の曲の場合、また『熊野』など本三番目の曲にも使われます。最も頻繁に見かけるのは「草之名宣」で、ワキが一人で登場する(ワキツレを伴わない)曲の場合には「草」で演奏されます。「行」は。。ぬえは「ワキツレを伴う場合で習物でない曲」に演奏される、と聞いていたのですが、実際には「あ、普段と違う譜だ。。この曲は習物でもないし。。これが行之名宣か。。」と思った事はほとんどないのです。去年 ぬえが勤めた『朝長』でもワキツレを伴う、また習物ではないけれどある程度の位を持った曲でも「草」であるようでした。どうも不思議に思って囃子方に尋ねた事があるのですが、現在では上演頻度の少ない「行」は扱いが曖昧になっていて、「草」に替えてしまう事も多いのだとか。『井筒』では「草之名宣」ですが、これも『熊野』が「真」である事を考えると どうも寂しい感じも受けますが、実際の演奏に触れてみると、仰々しい「真」が『熊野』に似合うのに対して、シンプルな「草」が淋しい曲目である『井筒』にはふさわしいのではないかと思います。

舞台常座に立ったワキは笛が吹き留めると「名宣リ」を謡います。(以下詞章は今回の「ぬえの会」の上演に沿って、シテは観世流、ワキは下掛り宝生流の本文で表記します)

ワキ「これは一所不住の僧にて候。我この程は南都に候ひて。霊仏霊社拝み巡りて候。又これより初瀬詣でと 志し候


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