ぬえの能楽通信blog

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『井筒』~その美しさの後ろに(その9)

2007-08-28 12:47:02 | 能楽
「次第」の囃子に乗って登場した前シテ。謡本の前付けによればその扮装は次の通りです。

面=若女または深井、小面。鬘。胴箔紅入鬘帯。襟=白二枚。着付=摺箔。紅入唐織。木葉(木葉入水桶にも)。水晶数珠。

師家の装束付けの記載もこれと全く同じで、鬘能の前シテの典型的な姿と言えるでしょう。ちょっと違うのは扇を持っておらず、代わりに木葉と数珠を持っている点でしょうか。弔いの気持ちが色濃く現れた姿で、『野宮』の前シテも木葉を持って出ますが、こちらは鬘扇を右手に持っています。むしろ去年 ぬえが演じた『朝長』の前シテに通じるものがあるように思いますが、型も共通するところがあるのです。非常に抹香臭い、というか、「死」のイメージが、じつはこの『井筒』にも漂っているのです。鬘能の典型のように言われる『井筒』ですが、ちょっと異色な点も多いのが、この装束付けにも現れていると思います。

面白い話ですが、観世宗家の装束付けと ぬえの師家の装束付けには、時折 違いがあったりします。そりゃもちろん「これは誰?」と思うような極端な違いはありませんが、細々としたところに違いが散見されますね。大きな違いでは、ぬえの師家では鬼神役のときにかぶる事が多い「赤頭」に「足し毛」を付けない、というのがあります。赤頭を着るときには、赤い毛の中に観世宗家ではひと握りの「白毛」の「足し毛」を交えて完全な赤い鬘にはしないのですが、これは『石橋』と『猩々乱』に限って「足し毛」を入れないのだそうで、この2曲を尊重して、ほかの曲では「足し毛」を交えるのだ、と聞いたことがあります(ほかにも諸説あり)。

ところが ぬえの師家では「足し毛」はまったく用いません。いつも真っ赤な頭で勤めています。いや、例外もあるのですが。。それは煩雑だから次の機会にご紹介しましょう。

こういう大きな違いのほかに、ぬえの師家では女の役には ほとんど扇を持っています。これまた、他家では扇を持たない『清経』のツレなどでも、師家では扇を持って出るのです。『安達原』とか『藤戸』とか、中年以上の下賤な役などの、扇が似合わない曲もあるので例外はあるのですが、若い女性の役であればまず間違いなく扇を持って出ます。

この点、『井筒』は師家でも木葉(あるいは水桶)と数珠と持つとされていて、ぬえの師家の前シテの姿としてはかなり異質な印象を受けます。こういうところもこの曲の不思議な一面を垣間見せているような思いがします。

なおシテは摺箔には白地に金の箔のもの、唐織はシテは段のものを使うのが定めです。持ち物については、今回は木葉にするか水桶にするか考えたのですが、昨年の『朝長』で水桶を使ったし、『井筒』の小書「物着」のときに水桶を用いることも多いので、小書なしの今回の上演では木葉もよいかな、と考えていました。そんな折り、先日楽屋で造花の木葉を持って立ってみたところ、これもひとつの印象を与える姿かな、と思い、今回は木葉で勤めようと思っております。本当は水桶の方が床に置くときにラクではあるのですが。

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