ぬえの能楽通信blog

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『井筒』~その美しさの後ろに(その5)

2007-08-23 03:27:37 | 能楽
『井筒』では「道行」も「着きゼリフ」も省略されていますが、それが単純に上演時間の短縮が目的で省略されたのではないことは、次のサシ、下歌の存在によってハッキリします。

ワキサシ「さてはこの在原寺は。いにしへ業平、紀有常の息女。夫婦住み給ひける石の上なるべし。風吹けば沖つ白浪龍田山と詠じけんも。このところにての事なるべし
 下歌「昔語りの跡訪へば。その業平の友とせし。紀有常の常なき世。妹背をかけて弔はん。妹背をかけて弔はん

この後にすぐ前シテの登場音楽たる「次第」が演奏されるのです。「我この程は南都に候ひて」と、当初は奈良にいた「一所不住の僧」は、「これより初瀬詣でと志し候」と目的地を述べておきながら、その直後に置かれたセリフは「これなる寺を人に問へば。在原寺とかや申し候」と、いきなり旅の途次の地点である石上寺の旧跡にワープしてしまいます。さらにここでは彼は「これなる寺を人に問へば」。。ワキは石上に到着しただけでなく、すでに在原寺の旧跡について誰かに問うた後なのですね。。ワキがワープしたのではなくて、じつはお客さまがタイムスリップさせられたのです。

ワキの自己紹介とさえ言えないような「名宣リ」(ワキは名前さえ持っていない。。)。唐突な場所の移動。さらに時間さえ超越して、一人在原寺の廃墟にたたずんで感慨にふけるワキの姿がここにあります。ぬえは考えるのですが、これはワキを能の中で終始「孤独」にさせておくための作者の意図的な省略なのではないでしょうか。

まず名もない僧が舞台に登場する。彼は奈良で「霊仏霊社拝み巡りて候」といい、さらに「又これより初瀬詣でと志し候」と長谷寺参詣に足を伸ばそうという熱心な仏教信者で、その「一所不住の僧にて候」という文言からも、彼には孤独な修行僧の影が自然と重ね合わせられるでしょう。そんな彼が旅の途次に訪れたのは石上の在原寺の旧跡です。ここは廃寺で、しかし仏を祀った旧跡。真摯な修行僧が宿泊するには打ってつけの場所と言え、これまた彼の性格を雄弁に物語ります。そこで上に掲出したように『伊勢物語』に思いをはせて感慨にふけるワキ。どうやら彼には文学的な素養も十分にあるようです。そんな彼が『伊勢物語』に思いをはせている時、その前に忽然と現れて、古びた塚に水を供え、花を手向ける若い女。これは否が応でもシテの登場に神秘的な意味を付与する事になるでしょう。

すなわち、シテの神秘性を高めるために、ワキは「名宣リ」を謡っても、わざわざその名前は消し去られて、文学的な素養もある教養の高い熱心な修行僧という、幽霊であるシテ、それも紀有常の娘という実在性というよりも『伊勢物語』の登場人物である「井筒の女」の出現を見届ける霊能力がある人物である事が強調されているのです。強調されている、というよりは、むしろそういうワキの性格付け以外の一切の情報は意図的に隠されている、と言った方がよいかもしれません。

このように描かれたワキが登場して初瀬への旅の途中に石上を訪れるとき、常套の通り「道行」を謡うことによって、紀行文の特色として、旅の途次のさまざまな風景の移り変わりが観客の想像に上ることを、作者はよしとしなかったのではないでしょうか。同じように「これなる寺を人に問へば」という部分の代わりに本当に間狂言を出して、俗世の人間とワキに問答をさせてしまっては、孤独な修行者の姿は霧散してしまうでしょう。

作者は「真摯で孤独な修行者」が『伊勢物語』にゆかりの深い在原寺の旧跡に立ち寄り、そこで感慨にふけるという、シテが登場するまでの舞台設定をここに描きたかったのだ、と ぬえは考えます。それ以外の方向にお客さまの気持ちをそらせるような「道行」も、狂言との問答も、あえて排除したのが『井筒』という曲なのではないでしょうか。ぬえにはそういう作者の意図がありありと読めるのですが、もしそれが正しいならば、すべては前シテの出現に神秘性を付与するのが目的であるでしょうし、室町時代初期にそこまで考えてこの曲の台本が書かれていたとするならば、その先人の見識は、相当なものだと思わざるを得ません。

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