ついでながら、登場音楽には上記のように「笛がときどき吹く」ものの他に、「笛が終始吹き続ける」もの、「笛だけが一管で吹く」もの、そして「笛は吹かずに大小鼓だけが演奏する」もの、さらに登場音楽はなく登場人物が無言のまま登場する場合もあります。
笛がときどきアシライを吹く「次第」や「一声」、「出端」の場合は前述のように、省略の形にかかわらず幕上げのキッカケと笛の吹き出しが一致するので、何度目か、お笛が吹き出すときに幕の方をご覧になれば、役者が登場する瞬間にあたります。なんだか手探りの説明ですが、省略により演奏の形態が少し変わるので、普遍的な説明は難しいことをご了承下さい。
「笛が終始吹き続けるもの」は「早笛」とか「大べし」、「真之来序」などがあり、またお笛の流儀により「アシライ出し」というのもあります。これらはお笛の吹き出しがキッカケとなって役者が登場するのではありませんから、大小の手組、あるいは太鼓が加わっていれば太鼓の手組を聞いて幕を上げます。この説明は繁雑を極めるので今回は省略しますが、総じてお笛が吹き続ける登場音楽はどちらかといえば短いものが多いので、役者の登場までそれほどお待たせしないでしょう。
「笛だけが一管で吹くもの」は「名宣リ笛」だけです。これも前述しましたので解説は省略しますが、ほかの登場音楽と決定的に違うのは、ワキの登場の場合だけに演奏される点と、ワキが幕を上げてから、その姿を見てお笛が吹き始める、つまり役者(ワキ)の登場の方が一瞬早いことでしょうか。
登場音楽がない役者の登場は、シテや、あるいはワキツレなどが舞台に登場してすぐ名宣リになる場合に多く使われます。つまりワキであれば「名宣リ笛」が吹かれるはずのところ、その登場する役者がワキではなく、シテやツレ、ワキツレなどである場合は笛が「名宣リ笛」を演奏してくれず、したがって役者は無音の中しずしずと舞台に(あるは橋掛りに)登場して、いきなり発声することになります。シテ中心にほとんどの物事が運ぶ能の中にあって「名宣リ笛」というワキ専用の登場音楽がある、というのは興味深いですね。
そのほかにもいくつか役者の登場の形態があります。囃子方が座着くと黙って登場して、脇座などに着座する「出し置き」という方法は、『清経』のツレなど、あらかじめそこに居る、という事を表す演出で、こういう場合は、そのあとにワキなど「来訪する」者があるのです。登場の場面を二度続けて演じない、という工夫でしょう。変わったものには「盛久」があります。観世流ではシテが幕を上げて、いきなりセリフを謡いながら歩み出して橋掛りに登場するのです。このシテの役は囚人で、その左右に牢駕籠を持つ(シテの頭上に差しかける)二人のワキツレがつき、そのあとから護送役人のようなワキが続いて登場します。シテは牢駕籠に乗せられながら、護送役のワキに今生の名残に清水寺への参詣を願う、というのが登場の場面。。しかしお流儀によってはこの演出ではないらしいですが。。
今回は登場音楽の話に脱線してしまいました。次回より『井筒』の前シテの登場の実際についてお話しようと思います。。
→「第三回 ぬえの会」のご案内
笛がときどきアシライを吹く「次第」や「一声」、「出端」の場合は前述のように、省略の形にかかわらず幕上げのキッカケと笛の吹き出しが一致するので、何度目か、お笛が吹き出すときに幕の方をご覧になれば、役者が登場する瞬間にあたります。なんだか手探りの説明ですが、省略により演奏の形態が少し変わるので、普遍的な説明は難しいことをご了承下さい。
「笛が終始吹き続けるもの」は「早笛」とか「大べし」、「真之来序」などがあり、またお笛の流儀により「アシライ出し」というのもあります。これらはお笛の吹き出しがキッカケとなって役者が登場するのではありませんから、大小の手組、あるいは太鼓が加わっていれば太鼓の手組を聞いて幕を上げます。この説明は繁雑を極めるので今回は省略しますが、総じてお笛が吹き続ける登場音楽はどちらかといえば短いものが多いので、役者の登場までそれほどお待たせしないでしょう。
「笛だけが一管で吹くもの」は「名宣リ笛」だけです。これも前述しましたので解説は省略しますが、ほかの登場音楽と決定的に違うのは、ワキの登場の場合だけに演奏される点と、ワキが幕を上げてから、その姿を見てお笛が吹き始める、つまり役者(ワキ)の登場の方が一瞬早いことでしょうか。
登場音楽がない役者の登場は、シテや、あるいはワキツレなどが舞台に登場してすぐ名宣リになる場合に多く使われます。つまりワキであれば「名宣リ笛」が吹かれるはずのところ、その登場する役者がワキではなく、シテやツレ、ワキツレなどである場合は笛が「名宣リ笛」を演奏してくれず、したがって役者は無音の中しずしずと舞台に(あるは橋掛りに)登場して、いきなり発声することになります。シテ中心にほとんどの物事が運ぶ能の中にあって「名宣リ笛」というワキ専用の登場音楽がある、というのは興味深いですね。
そのほかにもいくつか役者の登場の形態があります。囃子方が座着くと黙って登場して、脇座などに着座する「出し置き」という方法は、『清経』のツレなど、あらかじめそこに居る、という事を表す演出で、こういう場合は、そのあとにワキなど「来訪する」者があるのです。登場の場面を二度続けて演じない、という工夫でしょう。変わったものには「盛久」があります。観世流ではシテが幕を上げて、いきなりセリフを謡いながら歩み出して橋掛りに登場するのです。このシテの役は囚人で、その左右に牢駕籠を持つ(シテの頭上に差しかける)二人のワキツレがつき、そのあとから護送役人のようなワキが続いて登場します。シテは牢駕籠に乗せられながら、護送役のワキに今生の名残に清水寺への参詣を願う、というのが登場の場面。。しかしお流儀によってはこの演出ではないらしいですが。。
今回は登場音楽の話に脱線してしまいました。次回より『井筒』の前シテの登場の実際についてお話しようと思います。。
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