前回、おワキの型をご紹介するのを忘れていました~
着きゼリフのあと作物に向き「これなる寺を人に問へば」と謡い、「立ち越え一見せばやと思ひ候」と謡いきると大小鼓はアシライを打ち、その中でおワキは作物の前へ行き正面に向いて「さてはこの在原寺は」とサシを謡い出し、着座して 下歌「昔語りの跡訪へば」と謡い、その最後のところで「妹背をかけて弔はん」と数珠を両手で持って正面の作物の方へ合掌します。この文句に付けて囃子方はシテの登場音楽の「次第」を打ち、その中でワキは立って脇座に行き着座します。
ところでこの『井筒』という曲はおワキにとっては大変な曲なのです。じつはここでおワキは脇座に行って着座すると、もう能の終わりまで一度も立ち上がらないのです。(!)
おワキは、お客さまからは ずっと着座しているような印象をお持ちだと思いますが、じつは最初から最後まで着座したまま、という曲はあまり多くありません。多くの能では、まず最初にワキが登場し、「名宣リ」「道行」があって、それから一旦脇座に着座してシテの登場を待ちます。ところがシテが登場して、下歌上歌など一連の謡を謡いきってワキとの問答となるとき、おワキは立ち上がっておシテと問答をするのです。問答が進み、やがて地謡が最初の謡どころ(最初の同吟、という意味で「初同=しょどう」と言います)を謡い始めると着座して、シテは最初の型を行う、というのが常套のパターン。その後はたいていは曲の最後までおワキは着座したままの事が多いようですが、『三輪』や『高砂』などのように前シテが残した言葉に従ってワキが別の場所に移動して後シテを待つような曲では、中入の後にワキは立ち上がって「待謡」を謡う曲もあります。また『実盛』などにもワキが立って居座を替えて「待謡」を謡う場合があり、特殊な例では『道成寺』や『朝長』の「懺法」などでも中入のあとでおワキが立ち上がります。
もっとも、前シテとの問答でおワキは立ち上がる曲であっても、ワキツレはずっと着座のままです。『盛久』や『三井寺』『船弁慶』など、ワキツレが演技をする曲は別ですが、多くの曲ではワキツレは「道行」が済むとワキの下に着座して能が終わるまで動かない事が多いのです。現在 舞台でおワキを勤めておられる演者も、すべて修業時代から長年ワキツレを勤めて、それからおワキのお役を頂けるようになっていったのです。おワキは着座されるのが仕事とはいえ、やはり大変なことだと思います。
それがわかっているから ぬえも『井筒』のお相手のおワキに出演のご依頼を申し上げるときには気を遣いました。でも、たとえば、まずスケジュールの空きをお伺いするときに、「曲は何?」と主催者に聞いてから出演するかどうか考えるようなおワキは、ぬえの知っている限りではおられませんね。「来年のこの日はご都合は如何ですか?」「はい、空いています」「あ、それでは是非ご出演をお願いしたいのですが」「ああ、ありがとうございます」というやりとりがあって、それから「曲は何?」となります。ぬえみたいな立場では「それが。。井筒をお願いしたいのですが。。」とお答えすると「井筒!」と絶句されたりしますが。(^◇^;)
ところが、こんなこともありました。かなり以前になりますが、どこかのパーティーであるおワキ方の大先輩とお話をしていて、ついその先日に ぬえの師家の催しで『芭蕉』が出たときの話題になりました。『芭蕉』は『井筒』と同じようにおワキが一度も立ち上がらない曲で、しかも上演時間が2時間を超す大曲です。その地謡に出ていた ぬえも足が痛かったので、何気なくこのおワキに「大変でしたでしょう」と問いかけてみたのです。そのお返事がすごかった。
「うん。芭蕉にはワキツレがいないでしょう?(ご自分の)先生の横にワキツレとして座った事がないから。。座った曲なら“ああ、この曲のワキはこうやって謡うんだなあ”って分かるんだけど。これは先生がどうやって謡うのか横で聞いたことがなくて。。僕のは芭蕉になっていたかなあ。。?」
こんな深い見識でおワキを勤めておられたのか。。大先輩なのに、よくまあ ぬえなんぞにこんな本心を吐露されるものだと驚きましたが、老女能の一歩手前、という感じの『芭蕉』で、このお言葉の感じではあるいはこの方には初役だったのかも知れず、おワキも普段に倍加して緊張して勤められたのかもしれません。しかし。。「足が大変でしたでしょう?」という意味で問いかけてしまった ぬえは恥じ入ってしまいました。
→「第三回 ぬえの会」のご案内
着きゼリフのあと作物に向き「これなる寺を人に問へば」と謡い、「立ち越え一見せばやと思ひ候」と謡いきると大小鼓はアシライを打ち、その中でおワキは作物の前へ行き正面に向いて「さてはこの在原寺は」とサシを謡い出し、着座して 下歌「昔語りの跡訪へば」と謡い、その最後のところで「妹背をかけて弔はん」と数珠を両手で持って正面の作物の方へ合掌します。この文句に付けて囃子方はシテの登場音楽の「次第」を打ち、その中でワキは立って脇座に行き着座します。
ところでこの『井筒』という曲はおワキにとっては大変な曲なのです。じつはここでおワキは脇座に行って着座すると、もう能の終わりまで一度も立ち上がらないのです。(!)
おワキは、お客さまからは ずっと着座しているような印象をお持ちだと思いますが、じつは最初から最後まで着座したまま、という曲はあまり多くありません。多くの能では、まず最初にワキが登場し、「名宣リ」「道行」があって、それから一旦脇座に着座してシテの登場を待ちます。ところがシテが登場して、下歌上歌など一連の謡を謡いきってワキとの問答となるとき、おワキは立ち上がっておシテと問答をするのです。問答が進み、やがて地謡が最初の謡どころ(最初の同吟、という意味で「初同=しょどう」と言います)を謡い始めると着座して、シテは最初の型を行う、というのが常套のパターン。その後はたいていは曲の最後までおワキは着座したままの事が多いようですが、『三輪』や『高砂』などのように前シテが残した言葉に従ってワキが別の場所に移動して後シテを待つような曲では、中入の後にワキは立ち上がって「待謡」を謡う曲もあります。また『実盛』などにもワキが立って居座を替えて「待謡」を謡う場合があり、特殊な例では『道成寺』や『朝長』の「懺法」などでも中入のあとでおワキが立ち上がります。
もっとも、前シテとの問答でおワキは立ち上がる曲であっても、ワキツレはずっと着座のままです。『盛久』や『三井寺』『船弁慶』など、ワキツレが演技をする曲は別ですが、多くの曲ではワキツレは「道行」が済むとワキの下に着座して能が終わるまで動かない事が多いのです。現在 舞台でおワキを勤めておられる演者も、すべて修業時代から長年ワキツレを勤めて、それからおワキのお役を頂けるようになっていったのです。おワキは着座されるのが仕事とはいえ、やはり大変なことだと思います。
それがわかっているから ぬえも『井筒』のお相手のおワキに出演のご依頼を申し上げるときには気を遣いました。でも、たとえば、まずスケジュールの空きをお伺いするときに、「曲は何?」と主催者に聞いてから出演するかどうか考えるようなおワキは、ぬえの知っている限りではおられませんね。「来年のこの日はご都合は如何ですか?」「はい、空いています」「あ、それでは是非ご出演をお願いしたいのですが」「ああ、ありがとうございます」というやりとりがあって、それから「曲は何?」となります。ぬえみたいな立場では「それが。。井筒をお願いしたいのですが。。」とお答えすると「井筒!」と絶句されたりしますが。(^◇^;)
ところが、こんなこともありました。かなり以前になりますが、どこかのパーティーであるおワキ方の大先輩とお話をしていて、ついその先日に ぬえの師家の催しで『芭蕉』が出たときの話題になりました。『芭蕉』は『井筒』と同じようにおワキが一度も立ち上がらない曲で、しかも上演時間が2時間を超す大曲です。その地謡に出ていた ぬえも足が痛かったので、何気なくこのおワキに「大変でしたでしょう」と問いかけてみたのです。そのお返事がすごかった。
「うん。芭蕉にはワキツレがいないでしょう?(ご自分の)先生の横にワキツレとして座った事がないから。。座った曲なら“ああ、この曲のワキはこうやって謡うんだなあ”って分かるんだけど。これは先生がどうやって謡うのか横で聞いたことがなくて。。僕のは芭蕉になっていたかなあ。。?」
こんな深い見識でおワキを勤めておられたのか。。大先輩なのに、よくまあ ぬえなんぞにこんな本心を吐露されるものだと驚きましたが、老女能の一歩手前、という感じの『芭蕉』で、このお言葉の感じではあるいはこの方には初役だったのかも知れず、おワキも普段に倍加して緊張して勤められたのかもしれません。しかし。。「足が大変でしたでしょう?」という意味で問いかけてしまった ぬえは恥じ入ってしまいました。
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