ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その2)

2007-08-14 02:05:58 | 能楽
『井筒』は素直に作られたように見える能です。それは作者であることが確実とされている世阿弥自身も「祝言の外には井筒・通盛など直成能也」(『申楽談儀』)と記しているほどなのですが、反面、考え始めると次々に疑問が湧いてくる能です。

前シテが語る美しい恋の物語。その円満な恋の成就に対して、後シテが「人待つ女」として一人で現れるのはなぜなのか。なぜ女は業平の形見の「冠直衣」を着て男装して現れるのか。そもそもこの能の原拠であろう『伊勢物語』二十三段の「田舎わたらひしける人の子ども」と紀有常女(業平の妻とされる)との関係はどう考えるべきなのか。。

ぬえは学生時代に『井筒』の能についてよく考えていました。まだその頃は この能の後シテが垣間見せる孤独の蔭そのものよりも、やっぱり前シテが語る美しい恋の物語に心動かされて、単純に「これほど恋を全うした二人なのに、どうして後シテは一人で登場するのだろう」と不思議に思っていたので、その解釈をいろいろに思い巡らしていたのですね。

学生時代の ぬえは、この後シテはワキ僧に「おのろけ」を言いに出てきたのかなあ? なんて最初は思ってみました。ま、これは問題外な発想なわけですが。。若いってスバラシイ。(・_・、)

次に ぬえが考えたのは、「ひょっとしてこの後シテは幽霊なんかじゃないんじゃないか?」という事でした。相思相愛の二人が添い遂げた美しい思い出が宿る廃墟。そこにある傾きかけた軒や前栽、立木などは彼らの美しい愛の思い出を見届けた目撃者でした。漂泊の修行者であるワキ僧がこの廃墟に泊まるとき、その神通力の故でしょうか、はたまた月の明るさのためか、深まった夜の霧の中に、ふとその記憶が投影されてしまうんじゃないか。。? つまり彼女は「思い出」そのものなのではないだろうか。。
これまたちょっと青いかもなあ。。

その後『伊勢物語』の中に紀有常が現れる十六段のすぐ後に「あだなりと名にこそ立てれ桜花」の歌が載せられた十七段が置かれていること、「筒井筒」の段の直後に、三年間待ちわびた男の後を追って清水のほとりで亡くなった女が描かれる二十四段があり、そこには「梓弓ま弓つき弓年を経て」の歌が載せれていることなどを知り、どうやら『井筒』の世界は単純に「美しい恋物語」とばかりは括れない複雑で暗い影も併せ持った曲だという事がわかってきました。またこの能の作品研究などを読み進めていくうちに、『井筒』は『伊勢物語』そのものではなく、その古注が原拠になっている事、その古注の中には『伊勢物語』所収の歌と『井筒』に引かれる歌との異同の説明がつくものがある事(そもそも「筒井筒」って言葉さえ『伊勢物語』には現れてきませんし。。)、さらに「老いにけらしな」という後シテの言葉や前シテの「待つことなくて長らえん」の解釈について諸説があって、いまだに解決を見ていない事などを新たに知る事になりました。

これほど能を代表する曲のように言われていながら、じつは『井筒』は問題が多い曲なのです。数ある能の作品の中には、『井筒』に限らず、脚本に論理的な矛盾があったり、いまとなってしまっては言葉の意味がわからなくなってしまった台詞があったりするものです。極端な例ではシテが誰の幽霊なのか、イマイチはっきりしない曲まであるという。。(^◇^;) 能楽師は、それでもなんとか自分に折り合いをつけて舞台に立ちます。つまり舞台の当日までには自分なりの解釈を持ってしまうのですね。

役者は研究者とは違うから、自分の解釈には証拠はいらないんです。「自分はこういう意味だと思って演じている」という確固とした信念さえあれば。逆に言えば「よくわかんないけど謡本に書いてあるからその通り謡っている」ってのは ぬえは許せない人だったりします。やっぱり役者なんだから、お客さまの前で自分が演じている、謡っている、その内容については責任を持たなければいけないでしょう。どんな細かい部分についても、自分が演じた事について問われたら「こういうつもりで勤めている」と必ず答えられなければならない、と ぬえはずっと思ってきました。まあ、そういつも考えている能楽師は多いとは思うけれど、証拠が要らない、っていうのがくせ者で、極端な解釈で演じている方もありますけれどね。。難しいところです。


「第三回 ぬえの会」のご案内