地謡「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。天地も響くばかりなり
ツレ、ワキ、そしてワキツレがサラリと幕に引くと、地謡が吟を変えて謡い出し、あたりはただならぬ雰囲気になってきます。何かが起こりそうな予感。。
このところ、現在ではツレ一同が幕に引くとすぐに地謡が謡い出しますが、かつては間狂言が出たようです。間狂言は山の神のような者で、舞台常座に立って一角仙人が龍神を岩屋に封じ込めた経緯、帝王が旋陀夫人を遣わして仙人を堕落させようと試みたことを語り、眠り込んでいるシテに向かって、いまの旋陀夫人は仙人を堕落させて神通力を失うことが目的で、いままさに龍神たちが岩屋を破ろうとしている、と警告し、それから間狂言が退場すると、地謡が「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。。」と謡い出す演出が古くは取られていました。この間狂言は『紅葉狩』のそれと酷似していますね。能『一角仙人』が『紅葉狩』に構想が似ていることは早くから指摘されているところで、この間狂言も『紅葉狩』の演出を踏襲したものかも。
しかし美女に化けた鬼神にたぶらかされて寝込んだ武人・平維茂に対して、今現れたのは鬼神で、維茂を殺害する事が目的なのだ、と夢の告げを垂れ、神剣をその枕頭に置く、という演技をする『紅葉狩』の間狂言は、単純にシテが扮装を替える時間稼ぎだけの理由ではなく戯曲上も必須の役。これに対して『一角仙人』ではこの間狂言の登場のあいだに装束を着替える役もなければ、シテが間狂言から何かをもらう、という演技も必要ありません。むしろ『一角仙人』では間狂言が出る事によって舞台の進行が滞ってしまう側面も否めず、結局、歴史上のある時期からこの間狂言の役は『一角仙人』の能から削除されてしまったようです。
また、シテが眠り込んだところで後見が「被キ(カヅキ)」をシテにかぶせる、という演出があります。「被キ」というのは地味な装束(無地熨斗目を用いる事が多い)をシテの背後から掛けて、シテが両手を上げてこれを支え、自分の身を隠すようにする事で(その時に使われる装束も「被キ」と呼ばれます)、この演出は今日でも行われているようです。(というか、観世流の現行の謡本=大成版の『一角仙人』の挿絵には、シテが「被キ」をかぶっている様子が描かれていますね)
この場合の「被キ」はシテがかぶっている布団を表しているのでしょうか。。う~~ん、シテは思わず眠り込んでしまったのだから、何かを引き被るという演出はどうでしょうか。。
あるいは、間狂言が登場した時代の型が無批判に踏襲されているのかもしれません。先ほども書いたように、『一角仙人』の間狂言はこの能の前後の舞台を分断していて、言うなれば能は一時停止した状態で間狂言の「語リ」が挿入されているのです。間狂言の中でも「アシライ間」や「居語リ」は能の演技の進行に自然に溶け込んでいるのに対して、このような「立ちシャベリ」の間狂言は、語リの内容こそ能のストーリーの解説であっても、戯曲上は能の前後を分断している事が多いのです。また「立ちシャベリ」の場合、舞台に居る登場人物(シテの中入で間狂言が登場するのが普通だから、多くはワキ)の目にも見えない、あるいは別の場所で語られている、などの設定がなされている場合さえも多くの例があります。『嵐山』の替間の「猿聟」や『賀茂』の「御田」など、能の内容を遙かに超越して別次元の間狂言が作り出された例があるのも、その間狂言が「立ちシャベリ」をする場合である事が大きな理由で、その演技の自由度が演者の想像力を大きく引き出した例でしょう。
しかし間狂言が舞台に必要とされるのは、舞台の進行に密接に結びついたアシライ間を除いて、役者が扮装を替えるための時間を埋めるという任務があることが大前提で、これがあって初めてそこにもっとも効果的であるのかを考え抜いた、卓抜した間狂言も生み出されてくるはず。能の前後を分断する「立ちシャベリ」であっても、それがその能になくてはならない役だからこそ、どのような演出や演技がなされるのかは、おそらく作曲者であろう狂言方にある程度自由に作り上げる裁量権が任されて、その結果 役者が扮装を替えるのに必要な時間を遙かに超えた長大な替間が誕生する事もあったのだろうと思います。
ところが前述のように『一角仙人』という能の戯曲は間狂言を必ずしも必要としていません。そしてこの能で間狂言が登場する箇所では、舞台にはシテ一人だけが居残っていて、しかもその肝心のシテは酩酊状態で眠っている。。これでは「居語リ」もできず、結局 間狂言の登場形態は「立ちシャベリ」しか方法がないのです。ぬえは考えるのですが、このように「立ちシャベリ」をしている間狂言の横で、ずっとシテは枕扇(葉団扇を高く上げて顔を隠す型で眠っている事を表す)をし続けているわけにもいかず、さりとて眠っているのですから動き出してどこか舞台の隅に隠れているわけにもいかず。窮余の一策として「被キ」という手法をこの場に持ち込んだのではないだろうか、と思います。それが後世になって間狂言が登場しなくなってからも、このシテの「被キ」だけが生き残ったのではなかろうか。これは れっきとした現行の型だけれども、ぬえは正直に言えば感心しないし、お客さまにも納得も得にくいと思います(そのせいなのか、ぬえはこれまた「被キ」を実見したことがありません。「被キ」を用いた上演の例が少ないのかも)。
ツレ、ワキ、そしてワキツレがサラリと幕に引くと、地謡が吟を変えて謡い出し、あたりはただならぬ雰囲気になってきます。何かが起こりそうな予感。。
このところ、現在ではツレ一同が幕に引くとすぐに地謡が謡い出しますが、かつては間狂言が出たようです。間狂言は山の神のような者で、舞台常座に立って一角仙人が龍神を岩屋に封じ込めた経緯、帝王が旋陀夫人を遣わして仙人を堕落させようと試みたことを語り、眠り込んでいるシテに向かって、いまの旋陀夫人は仙人を堕落させて神通力を失うことが目的で、いままさに龍神たちが岩屋を破ろうとしている、と警告し、それから間狂言が退場すると、地謡が「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。。」と謡い出す演出が古くは取られていました。この間狂言は『紅葉狩』のそれと酷似していますね。能『一角仙人』が『紅葉狩』に構想が似ていることは早くから指摘されているところで、この間狂言も『紅葉狩』の演出を踏襲したものかも。
しかし美女に化けた鬼神にたぶらかされて寝込んだ武人・平維茂に対して、今現れたのは鬼神で、維茂を殺害する事が目的なのだ、と夢の告げを垂れ、神剣をその枕頭に置く、という演技をする『紅葉狩』の間狂言は、単純にシテが扮装を替える時間稼ぎだけの理由ではなく戯曲上も必須の役。これに対して『一角仙人』ではこの間狂言の登場のあいだに装束を着替える役もなければ、シテが間狂言から何かをもらう、という演技も必要ありません。むしろ『一角仙人』では間狂言が出る事によって舞台の進行が滞ってしまう側面も否めず、結局、歴史上のある時期からこの間狂言の役は『一角仙人』の能から削除されてしまったようです。
また、シテが眠り込んだところで後見が「被キ(カヅキ)」をシテにかぶせる、という演出があります。「被キ」というのは地味な装束(無地熨斗目を用いる事が多い)をシテの背後から掛けて、シテが両手を上げてこれを支え、自分の身を隠すようにする事で(その時に使われる装束も「被キ」と呼ばれます)、この演出は今日でも行われているようです。(というか、観世流の現行の謡本=大成版の『一角仙人』の挿絵には、シテが「被キ」をかぶっている様子が描かれていますね)
この場合の「被キ」はシテがかぶっている布団を表しているのでしょうか。。う~~ん、シテは思わず眠り込んでしまったのだから、何かを引き被るという演出はどうでしょうか。。
あるいは、間狂言が登場した時代の型が無批判に踏襲されているのかもしれません。先ほども書いたように、『一角仙人』の間狂言はこの能の前後の舞台を分断していて、言うなれば能は一時停止した状態で間狂言の「語リ」が挿入されているのです。間狂言の中でも「アシライ間」や「居語リ」は能の演技の進行に自然に溶け込んでいるのに対して、このような「立ちシャベリ」の間狂言は、語リの内容こそ能のストーリーの解説であっても、戯曲上は能の前後を分断している事が多いのです。また「立ちシャベリ」の場合、舞台に居る登場人物(シテの中入で間狂言が登場するのが普通だから、多くはワキ)の目にも見えない、あるいは別の場所で語られている、などの設定がなされている場合さえも多くの例があります。『嵐山』の替間の「猿聟」や『賀茂』の「御田」など、能の内容を遙かに超越して別次元の間狂言が作り出された例があるのも、その間狂言が「立ちシャベリ」をする場合である事が大きな理由で、その演技の自由度が演者の想像力を大きく引き出した例でしょう。
しかし間狂言が舞台に必要とされるのは、舞台の進行に密接に結びついたアシライ間を除いて、役者が扮装を替えるための時間を埋めるという任務があることが大前提で、これがあって初めてそこにもっとも効果的であるのかを考え抜いた、卓抜した間狂言も生み出されてくるはず。能の前後を分断する「立ちシャベリ」であっても、それがその能になくてはならない役だからこそ、どのような演出や演技がなされるのかは、おそらく作曲者であろう狂言方にある程度自由に作り上げる裁量権が任されて、その結果 役者が扮装を替えるのに必要な時間を遙かに超えた長大な替間が誕生する事もあったのだろうと思います。
ところが前述のように『一角仙人』という能の戯曲は間狂言を必ずしも必要としていません。そしてこの能で間狂言が登場する箇所では、舞台にはシテ一人だけが居残っていて、しかもその肝心のシテは酩酊状態で眠っている。。これでは「居語リ」もできず、結局 間狂言の登場形態は「立ちシャベリ」しか方法がないのです。ぬえは考えるのですが、このように「立ちシャベリ」をしている間狂言の横で、ずっとシテは枕扇(葉団扇を高く上げて顔を隠す型で眠っている事を表す)をし続けているわけにもいかず、さりとて眠っているのですから動き出してどこか舞台の隅に隠れているわけにもいかず。窮余の一策として「被キ」という手法をこの場に持ち込んだのではないだろうか、と思います。それが後世になって間狂言が登場しなくなってからも、このシテの「被キ」だけが生き残ったのではなかろうか。これは れっきとした現行の型だけれども、ぬえは正直に言えば感心しないし、お客さまにも納得も得にくいと思います(そのせいなのか、ぬえはこれまた「被キ」を実見したことがありません。「被キ」を用いた上演の例が少ないのかも)。