ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その4)

2007-08-21 20:52:42 | 能楽
名宣リを謡ったワキは、この時点では「南都」つまり奈良にいるわけですね。その名宣リの最後にワキは二足出ながら両手を前に出して合わせる型をします。「立拝(たっぱい。達拝とも書く)」とか「掻き合わせ」などと呼ばれる型で、名宣リの終わりを示すとともに、この型を見て囃子方が打切を打って、「道行」となるキッカケになったりする型です。『井筒』では「立拝」のあとワキは両手を下ろしながら二足下がり、すぐに次の文句を謡います。

ワキ「これなる寺を人に問へば。在原寺とかや申し候程に。立ち越え一見せばやと思ひ候

これは「着きゼリフ」と呼ばれる謡と同類の文句です。「着きゼリフ」とは、「急ぎ候ほどに、これははや○○に着きて候」と、旅行の目的地、あるいは中継地点に到着したことを表すセリフです。能のワキの登場後の通例の動作では、「名宣リ」を謡ったあとに「道行」と呼ばれる紀行文を謡い、その中でワキは正面に(あるいは斜に)三足ほど出て、くるりと向きを変えて元の位置に戻り、そのとき「道行」が「○○に着きにけり」という文句で結ばれることで、ワキが旅をしてある地点に移動した事を表すのです。「道行」を謡い終えたワキは正面に向き、「急ぎ候ほどに、これははや○○に着きて候」と、「道行」の最後に現れた地名をもう一度唱えた「着きゼリフ」を謡い、これにてお客さまには、これからシテが登場して事件が起こる場所を想像して頂くことになります。

ところが『井筒』では「道行」もなければ「着きゼリフ」に常套の「急ぎ候ほどに。。○○に着きて候」という文句もありません。いきなり「在原寺」と言われればお客さまは「あれあれ?」と思うかもしれませんが、「在原寺」は「石上寺」のことで、歌枕である事を考えれば、昔はこれだけで いまワキが立っている地点がいまの奈良県天理市のあたりだということが納得されたのでしょう。

ここで注意しなければいけないのは、ワキが「これなる寺を人に問へば」と言っている点です。ガイドブックなどない時代、旅の途中に立ち寄った場所の事をワキは知る由もなく、興味を引く場所については当然現地の人に尋ねたでしょう。これも能では間狂言が登場してその場所についての説明をする場合があります。たとえば『松風』では、『井筒』と同じく「名宣笛」で登場したワキのあとから目立たぬように間狂言が登場し、ワキが舞台に入る頃、間狂言は「狂言座」(橋掛り一之松の裏欄干の前)に着座します。ワキは間狂言を無視して「名宣リ」を謡いますから、間狂言はこのときワキと一緒に旅をしているわけではないのです。「名宣リ」を謡い終えて「着きゼリフ」を謡ったワキは(『松風』は、これまた『井筒』と同様に「道行」を欠く曲です)、正先に出された松の立木の作物を見て不審に思い、「須磨の在所の人の渡り候か」と、橋掛りの狂言の方へ向いて問いかけます。「渡り候か」と言っているので、これもまたワキは須磨の浦人の役の間狂言を発見して言っているのではなく、何気なく「誰かこのあたりの方はおられませんか?」と問うているのです。ワキの問う声を聞いて間狂言は立ち上がり「須磨の在所の者とお尋ねは。如何なる人にて渡り候ぞ」とワキを見て答えます。「おや、誰か近在の者を呼んでいる。誰だろう」というような感じですね。この間狂言から松の木の由来を聞いたワキは、ここではじめて「そんな物語があったのか。それではその二人の姉妹の跡を弔っていく事としよう」と思い、その行動が、後に登場するシテとの邂逅の要因となるわけです。

ところが『井筒』では「道行」も、「着きゼリフ」も、そして間狂言との問答も省略されているのです。このような省略は上演時間の長い曲ではしばしば見られる演出ですが、「次第」でワキが登場して「道行」もあり、さらに間狂言との問答もある『楊貴妃』のような例もありますし、また短い曲なのに「道行」がない『菊慈童』のような例もありますから、単純に上演時間の短縮のために省略されているとばかりは考えにくい。ここはやはり、ワキの紀行の道程よりも、これから事件が起きる「在原寺」にお客さまの意識を集中して頂くための演出と考える方が妥当だと思います。

「第三回 ぬえの会」のご案内