いやいや、疲れました~ 久しぶりの切能。でもやっぱり ぬえは切能が好き。楽しく舞うことができました~。お出まし頂きましたお客さまには本当に感謝申し上げます!
…とは言っても、お出まし頂いたお客さまにはご承知なわけですが、大アクシデントも起こったのでした。ああビックリした。…それはともあれ、今回の『大会』ではいろいろとこだわりの工夫を凝らした舞台と致しました。今回はその工夫についてご紹介致したいと思います。
まず一番大きな工夫は装束と作物にあります。天狗の装束の上に、それを隠すように着付ける釈迦の装束、そして釈迦が腰掛ける「椅子」の作物ですが、どうも ぬえは以前から違和感を持っていたのです。以前にも書いたと思いますが、後シテが両手に持って登場する経巻と数珠。数珠は釈迦が用いた、という説もあるようですが、経巻は基本的には如来の教えを記録し、伝えるためのものでしょうから、どうもこれを釈迦自身が開いて読み上げる、というのはおかしいのではないか、と思っていました。…理屈に過ぎるかもしれませんけれどもね。
また、釈迦として着付ける装束は大会頭巾と掛絡、そして大水衣ということになっていますが、これもちょっと気になるところが…。大会頭巾は天狗の赤頭を隠すために必要な装束なので、とくに釈迦像などに取材したものではなく、おそらく能の作者の創作なのではないかと思いますが、問題は掛絡と大水衣。掛絡は「袈裟」のことで、いわば仏教徒の制服のような装束のはずですが、果たしてこれが、「釈迦」を表す装束となり得るのでしょうか。そうして大水衣は広袖に作られた水衣で、『大会』では黒とか茶が好んで使われているようですが、ここまで考えてくると、どうやらこの後シテが描いている姿は、釈迦ではなく、「僧」なのではないか? と考えてしまったのです。
僧は求道者として清貧の中に如来の教えを研究し実践する人々でありましょう。この意味で僧は装飾とは無縁の存在で、墨染めの衣を着て経巻を読誦し、数珠を爪繰っては自らの煩悩を滅却する道を模索するのがその姿なのではありましょうが、はたして成道した釈迦如来は比叡山の僧正が憧れる、もっときらびやかな姿であるべきなのではないか? 釈迦が住む浄土を連想させるような、そういう姿であるべきなのではないか? というのが ぬえの到った考えでした。そこで今回は大会頭巾や掛絡は着けますが(これらはみな、天狗の装束を隠すために必要な装束なのです)、師匠のお許しを得て、大水衣を舞衣に替える試みをしてみました。実際にはこれは ぬえの独創ではなくて、金剛流で舞衣を使っての上演がなされている事を知ったために、それを模倣したに過ぎませんのですけれども…
で、実際に舞衣を着てみた姿がタイトル画像です!
この画像は先日の催し当日ではなく、師家で稽古があった際に装束の着付けの手順の確認のために試みに装束を着けてみた時のものです。赤地の舞衣がわかります? 師家の大会頭巾が萌黄地だったもので、赤地の舞衣とはうまく色が合っています。煩悩から離れた釈迦の像は「衲衣」…というのかな、粗末な衣を一枚着ているだけですが、赤地に近い色の印象があるので、それも参考にして、浄土の絢爛たる世界を想像させたいと思いました。それでも今回は装束の配色にはずいぶん困ったんですよ~。釈迦から天狗に早変わりするために、まったく異なる印象の色の装束にしなければならず、それらの色の組み合わせには苦労しました~(×_×;)