能の中で「居語り」またはそれに準じた形式の多くの間狂言は、前シテが語った同じ内容をもう一度、地元に住む里人などの視点から、土地に伝えられた物語として語る、というパターンであることが多いのですが、それでも間狂言が語る内容が、どうも前シテが語った内容と少し齟齬を感じる場合が多いように思うのです。
いえ、ちょっとした事なんですが、そしてお狂言方に対して失礼な言い方かもしれませんが、地謡に座っていて聞く間狂言の文言が、どうも前シテ…というか謡本が描いている内容と、微妙なニュアンスのズレを感じることが、しばしばあるのです。おワキに問われて間狂言が物語るその内容が、前シテ…に限らずその能で描かれる主人公や事件についての話題から微妙に広がりを見せたり、やや方向性を異にしていたり。
こういった微妙な齟齬については、間狂言の詞章に精通しているわけではない ぬえが いますぐに例を挙げることができないのですが…たとえば『巴』ではこんなことがあります。前シテが中入する際の地謡の言葉は次のようなものです。
「さるほどに暮れてゆく陽も山の端に…いづれももの凄き折節に我も亡者の来たりたり。その名をいづれとも知らずはこの里人に問はせ給へと言ひ捨てて草のはつかに入りにけり」
「この里人」とは明らかに間狂言を指している言葉であろうと思いますが、これに対して間狂言が登場してすぐに言う文句が「これはこのあたりに住む者。今日は社の祭礼の日だが、まだ早いと見えて誰も来ていない」(大意)というようなものなのです。シテ方が伝える謡本の詞章が間狂言の存在を前提にしていて、シテが舞台から去る場面で舞台展開をそれに譲っている(居語りの間狂言は、前シテが中入する際の橋掛リの通行の邪魔にならぬよう、早めに…具体的には初同のあたりで目立たぬように幕から登場して一之松の「狂言座」に控えます)のに対して、間狂言のこの言葉は、ワキが出会った不思議な里女が夕暮れに自分は幽霊と明かしていたのに、肝心の里人が登場するのは翌朝だった…つまりその夜には何事も起きなかった、というように解せざるを得ない…さらに言えば、間狂言との問答の中で前シテが巴の霊の化身だということが確信されたワキは「待謡」を謡って、そうして後シテの巴の霊が登場するのですが、それは間狂言から物語を聞いた朝からはずっと時間を経た、また次の夜、という事になってしまいます。
上記『巴』の間狂言の詞章は ぬえが地謡で聞いたものですが、諸流の間狂言の詞章を掲載した『観世』誌(平成3年4月号)によれば大蔵・和泉・鷺流とも「今日はこの所(または「当社」)の御神事なので参ろうと思う」というような文言で、「早いために誰も来ていない」という言葉はないのですが、まあ、単純に考えれば夜に始まる神事は特殊で、通常は里人が集まる昼に行われるのであろうと考えれば、意味は同じようなことになろうかと思います。また一方、ある機会に ぬえは狂言方と長く話をしたときにこの話題が出て、そのときもやっぱり彼は「ああ、うちもやっぱり「まだ早いと見えて…」と言いますねえ」とおっしゃっていましたから、やはり ぬえの聞いた文句で間違いはないようです。
ぬえが言いたいのは、これら間狂言に問題があるとか、不都合がある、ということではなくて、能の台本と間狂言とは決して同一の作者とか指向性によって合理的に、体系的に作られたものばかりではない、ということです。
いえ、ちょっとした事なんですが、そしてお狂言方に対して失礼な言い方かもしれませんが、地謡に座っていて聞く間狂言の文言が、どうも前シテ…というか謡本が描いている内容と、微妙なニュアンスのズレを感じることが、しばしばあるのです。おワキに問われて間狂言が物語るその内容が、前シテ…に限らずその能で描かれる主人公や事件についての話題から微妙に広がりを見せたり、やや方向性を異にしていたり。
こういった微妙な齟齬については、間狂言の詞章に精通しているわけではない ぬえが いますぐに例を挙げることができないのですが…たとえば『巴』ではこんなことがあります。前シテが中入する際の地謡の言葉は次のようなものです。
「さるほどに暮れてゆく陽も山の端に…いづれももの凄き折節に我も亡者の来たりたり。その名をいづれとも知らずはこの里人に問はせ給へと言ひ捨てて草のはつかに入りにけり」
「この里人」とは明らかに間狂言を指している言葉であろうと思いますが、これに対して間狂言が登場してすぐに言う文句が「これはこのあたりに住む者。今日は社の祭礼の日だが、まだ早いと見えて誰も来ていない」(大意)というようなものなのです。シテ方が伝える謡本の詞章が間狂言の存在を前提にしていて、シテが舞台から去る場面で舞台展開をそれに譲っている(居語りの間狂言は、前シテが中入する際の橋掛リの通行の邪魔にならぬよう、早めに…具体的には初同のあたりで目立たぬように幕から登場して一之松の「狂言座」に控えます)のに対して、間狂言のこの言葉は、ワキが出会った不思議な里女が夕暮れに自分は幽霊と明かしていたのに、肝心の里人が登場するのは翌朝だった…つまりその夜には何事も起きなかった、というように解せざるを得ない…さらに言えば、間狂言との問答の中で前シテが巴の霊の化身だということが確信されたワキは「待謡」を謡って、そうして後シテの巴の霊が登場するのですが、それは間狂言から物語を聞いた朝からはずっと時間を経た、また次の夜、という事になってしまいます。
上記『巴』の間狂言の詞章は ぬえが地謡で聞いたものですが、諸流の間狂言の詞章を掲載した『観世』誌(平成3年4月号)によれば大蔵・和泉・鷺流とも「今日はこの所(または「当社」)の御神事なので参ろうと思う」というような文言で、「早いために誰も来ていない」という言葉はないのですが、まあ、単純に考えれば夜に始まる神事は特殊で、通常は里人が集まる昼に行われるのであろうと考えれば、意味は同じようなことになろうかと思います。また一方、ある機会に ぬえは狂言方と長く話をしたときにこの話題が出て、そのときもやっぱり彼は「ああ、うちもやっぱり「まだ早いと見えて…」と言いますねえ」とおっしゃっていましたから、やはり ぬえの聞いた文句で間違いはないようです。
ぬえが言いたいのは、これら間狂言に問題があるとか、不都合がある、ということではなくて、能の台本と間狂言とは決して同一の作者とか指向性によって合理的に、体系的に作られたものばかりではない、ということです。