ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『大会』…終わりました~(その2)

2011-05-21 12:46:48 | 能楽


それから作物の椅子。こちらも本来は紺地で地味に作ることになっているのですが、これも浄土の釈迦の荘厳を表すには地味に思えまして、ホームセンターで材料を買って来て少々派手目に作ってみました。こちらも前述の木葉天狗が後場に居残る新演出の場合に、一畳台を2台出すのと同時に作物を装飾する工夫が取られることがあるのを参考に、自分なりの宝座のイメージで作ってみたものです…ちょっと画像ではわかりにくいですかね?

さらに、本来は直面で演じるはずの前シテを、黒頭に「鷹」の面を掛けて勤めました。天狗物の曲の前シテは山伏と決まっているのですが、これ、天狗が人間に見えるのは、鳶に化けているときか、山伏に化けている場合に限られる、と考えられているのが反映されたものらしいですね。ともあれ直面で天狗の化身の山伏を演じるのは難しいですね。よっぽどツラ構えが良くないと…。この点やはり「鷹」は化け物の化身としての雰囲気は作りやすいので、『大会』に限らず天狗物の前シテの山伏にはよく使われる工夫で、ぬえは『善界』を勤めたときも前シテは「鷹」でした。

まあ、『大会』の場合はシリアスな内容ではなく、むしろ おとぎ話ですから、「鷹」はちょっと表情が厳し過ぎるかな? とも思いましたが、僧正に命を助けてもらった報恩に願いを叶えてあげる、と言いに行く天狗の思いは真剣なものでしょうから、それを考えれば「鷹」でもよいか、と考え直しました。その真摯な天狗の姿勢と、後場の不格好な釈迦への変装とのギャップが、また面白いのではないでしょうか。

そうして公演では、前場はほぼ考えた通りに演じることが出来たと思います。この曲でいろんな問題が待ち受けているのは後ですけれどね。中入の装束の着替えはまさに戦場でした。時間が足りないことによる焦りがミスを誘発したりして、かなり手間取ったのも事実です。こういうところ、最後はシテが手順をよく把握していてないとダメですね。物着に限りませんけれども、後見ときちんと打合せをしたうえで、最後の最後はシテに責任があると思います。工夫がある場合はさらにそうですね。着替えが間に合わないようだったので後見は作物を出すのを少しだけ遅らせましたが…それでもここからの後見の手際は素晴らしく、「大ベシ」が打ち出される前に幕に掛かることが出来ました。これなら作物を出すのを遅らせることはなかったか…

後シテは、稽古で想定はしていましたけれども、まあ、ここまで見えないのか、というくらい外が見えないです。それでも、面紐を縛る具合で面の角度が変わってしまって、まったく見えなくなってしまうなどのトラブルは絶対に避けなければならないので、面の仕掛けはかなり慎重に致しましたので、そういう事故はなく、まあまあ安心して舞台に出ました。中入の着替えが時間ギリギリだと後シテの気持ちを作るのが難しいですが、これもまあ、橋掛リを歩みながら すんなりと気持ちを作ることはできたのではないかと思います。

橋掛リから舞台に入って…ああ、もうどこまで歩んだのかわかりません。初シテ以来久しぶりに自分の歩んだ歩数を数えちゃったりしました~ (^_^;) それでも作物を巨大に作ったのでそれは良く見えて、一畳台の上の椅子にはうまく上がることができました。もうここまでで、上げっぱなしの左手はかなりつらく…経巻を拡げるところでは、自分では水平に持っているつもりなんですが、あとでビデオを見たら、やはり少し左手が下がっているようです…(×_×)

やがてワキが礼拝すると一気に囃子が速まり、シテは幕の方まで見廻して異変を悟ると、急いで経巻を巻きます。このところ、いかにもあわてているように見えるように気を付けますが、巻いている最中に正面席のお客さまが笑っておられるのが見えたので、そのように見えたかも。