先月のことだが、経済評論家として知られていた森永卓郎氏がお亡くなりになった。
「ザイム真理教」なる用語を使いだした最初の一人だと思うが、一面の真実だと評価している。ただ少し理解が浅いというか、戦後の日本の言論人に顕著な経済優先志向があり、全面的に同意している訳ではない。ただ色々と思うことは多い。
財務省は元をただせば大蔵省である。ただし完全に同じではない。一番の違いは「金融庁」を分離したことだ。今も人的交流はあると思うが、問題はその分離がある転換を目的としていることだ。
それが長年、大蔵省が仕切ってきた護送船団方式の見直しであった。これは一般的にはバブル崩壊に伴うものだと理解されている。それは間違いではないが、その背後にある動きが無視されている。
一つは外資による日本の金融市場への参入である。成長性こそ低いが安定資産としての日本の金融市場に価値を見出した外資の狙いがあったことは一応触れておきたい。詳細は長くなるので今回は端折ります。
もう一つは、護送船団方式を止めたが故に大蔵省のエリート官僚様たちへの退職金供給先が減ったことです。一言触れておくと、大蔵省のエリート官僚様と云えども在職中の給与は、大手都市銀行の役員と比べても低いままです。
それはプライドの高いエリート官僚様には耐えがたい屈辱であり、天下りを繰り返すことでようやく民間の似非エリートを凌駕する賃金を手にすることが出来た。だが、護送船団方式の取り止めは、その機会を減らしてしまった。だからこそ財団法人などの公益法人への天下りを拡充する必要があった。その原資となる特別会計は国会議員どもに手を触れさせないアンタッチャブルである必要があった。
ここにザイム真理教の苗床が生まれた。決して民間の監視の目が及ばせない聖域、それが特別会計であり、景気に左右されない神聖不可侵な存在として隠された。その一方で、税収不足の場合は、借金をしてでも守らねばならない聖域であり、一般会計を削減してでも死守してきた。
大蔵省時代には増税はしても、他の税金を減税する一増一減が守られた。しかし金融市場への干渉が不自由になった財務省に余裕はなく、一般会計は予算減となっても特別会計の聖域だけは守り続けた。そのためには増税と借金(国債の発行)は断固守らねばならなかった。
大手のマスコミ様は知っていても過剰に問題視することを避ける特別会計ですが、森永卓郎氏にそのタブーは通じなかった。だからこそザイム真理教なる造語で、一般の有権者にも分かり易く、その腐敗の温床を公表していた。
森永氏の主張を全面的に肯定はしませんが、納得できる部分も多い。私が彼を取り上げなかったのは、経済面に偏りがちの姿勢に疑問をもっていたからですが、今後はもう少し取り上げてみようと考えております。
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