大人しい人が怒ると怖い。
特に怖いのは、自分の為ではなく他者の為に怒れる人だ。自らの利益でも保身でもない。誰かのために真剣に怒れる人は怖い。無私の精神で立ち上がり、不正を糺すために真剣に怒れる人は、自らが傷つくのを恐れない。だからこそ怖い。
逆に自らの栄誉のためであったり、善人ぶりをアピールするために怒っている人は、まるで怖くない。むしろ不快であり、邪魔である。今の日本の国会を見れば、この手の怒れる不快感がゴロゴロいる。新聞やTVといったマスコミ様のなかには、それこそ凝り固まって腐臭を感じさせるほどの怒れる人があふれている。
似て非なるものとして、怒るべき時に怒れない、叱るべき時に叱れない卑怯者も大嫌いだ。私は実例を見たことはないが、最近は「叱らない教育」とかいう醜悪な行為が流行っているらしい。これは叱るべき義務から逃げ、叱ってでも教えねばならぬ責務から逃げるだけの卑怯者の所業だと思う。
私事ではあるが、私はおばあちゃん子であった。初孫であり可愛がられたのは確かだ。そんな私だが、おばあちゃんに怒られたり叱られた記憶はない。いや、正確に云えば、私はおばあちゃんに叱られるのを異常に恐れる子供だった。多分、母よりもおばあちゃんが怖かった。
悪いことをするのが得意だった私ではあるが、おばあちゃんの前では大人しくしていた。悪さをしたことがバレた時も、おばあちゃんは手を上げたり、叱責することはなかった。ただ静かな口調で、何故悪いことなのか、何故してはいけないのかを、ゆっくりと穏やかに、それでいて逃げることも許さずに断固として語り掛けてくれた。
普段はうるさい先生の説教や拳骨制裁を鼻にも欠けない不届きものの悪ガキである私である。長い説教だと空想の世界に逃げ込んで現実逃避をする不埒な悪ガキではあるが、おばあちゃんのお話だけは逃げられないし、無視も出来なかった。
だからこそ、怒るべき時に怒らず、叱るべき時に叱れないだらしない大人が大嫌いであった。
大ヒット作である「薬屋のひとりごと」において、大人しく忍耐強く屈辱的な世間の目にも耐える我慢の人、高順が15巻目にして初めて怒った。ネタバレは避けたいので、その内容は本書を読んでもらうしかない。
はっきり言います。実に格好いい、男ならかくあるべしの怒り方です。漫画化やアニメ化されるのは相当先だと思うので、是非とも原作を読んで欲しいです。