正しく生きたい。誰だってそう思うが、世の中正しいことが良いこととは限らない。
正しさの定義は難しい。基本的には法令に従って正しさは定義されるべきだが、法令には記載されないが、世間一般的に認めらえた常識や、人として守るべき倫理もあり、正しさの定義は簡単ではない。
税理士の役割の一つは、税法の順守である。
しかし、税法はあくまで税金を徴収する国家の行政手続法である。人々の幸せを保証するものではない。私の師匠であるS先生は、税務署で20年以上勤めていた間に、世の中の矛盾をありありとみてきた。
そのせいだと思うが、時として税理士らしからぬ判断をすることがあった。その契機となったある事件について、私に語ってくれたことがある。以下、守秘義務に抵触しないように大幅にフェイクを入れていることをお断わりしておく。
S先生がまだ20代の若手税務署職員であった頃に、戦後に急速に発展したある地方都市へ赴任した時のことだ。ある地主の息子さんの相続税未申告が判明し、その徴収業務に行かされた。
地主といっても、戦前の古い長屋に貸しているだけで、それでも母子二人ならば十分食べていける。そのお子さんが急に亡くなってしまった。土地の権利は、戦前に父親が亡くなった際、ほとんど息子が相続しており、残された母親には年の離れた弟がいるだけであった。
一人息子を失くした悲嘆のあまり、母親は次第にボケてしまい、息子の相続についてなにもしていなかった。そこで現れた弟(亡くなった息子にとっては伯父)が土地の管理を引き受けたのだが、これが癖者だった。
結論からいうと、ボケた姉を放置して預金と土地の地代収入を懐にいれて逃亡してしまった。しかたなく役所が介入して、ボケた姉(母親)を施設に入れて介護していたまでは良い。
ただ、亡くなった息子の相続税申告及び所得税申告はなされていなかった。S先生たち税務職員が調べたところ、地代収入はさしてないが、父親から残された預金はかなりの金額で、当然に相続税が生じる。
しかし、その預金は伯父(母親の弟)が持ち去ってしまい、相続税を払う原資がない。地代収入は老人介護の施設への支払いに充てており、これを差し押さえると、ボケた母親が困窮することは明白であった。
取り立てる気、満々であった税務署職員も、これには困った。税法は申告を義務としており、税務署の権限で相続税を強制的に申告(決定処分となる)すれば、税金は大半が未納となる。そこで地代収入を差し押さえれば、ボケた老人を放り出すことになることは明白であった。
事情を上司に説明すると、上司はなにやら電話を掛けだした。そして翌日、この事案はある税務署OBの税理士が担当することになり、S先生らはその税理士に申告を任せることを伝えられた。
ところが、このOB税理士は申告書を提出してこない。連絡をとると、のらくらと言い訳して引き伸ばしてくる。さすがに腹が立ったが、上司はほっておけとして動こうとはしなかった。もう申告期限はとっくに過ぎている。法令違反ではと、若手税務署職員は憤ったが、上司は知らん顔である。
事の真相が分かったのは、数年後、その母親が亡くなってからだ。その訃報が伝わると、件のOB税理士はすぐに申告書を提出。これにより租税債務が成立する。
そして亡くなった母親の唯一の相続人は、逃げ去った伯父、つまり母親の弟である。ここに至り、堂々と法令に基づき最初の息子さんの相続税と合せて、母親の相続税(こちらは少額)の納税義務は、その伯父に引き継がれた。
この案件は、検察扱いとなり、国税犯則法が適用され警察の力を借りて捜査がなされ、一年と経たずしてその伯父は逮捕された。
相続では土地や預貯金といった財産の他、債務も引き継がれる。最初に亡くなった息子さんの相続税の納付義務は、母親であるが、支払能力が乏しいことを見越して、わざと申告を引き伸ばし(これは、違法ですけどね)、多額の預金を持ち逃げした伯父に相続債務が引き継がれるタイミングを見計らった上司と、OB税理士の作戦であった。
その話をした後、S先生は私に、件の上司とOB税理士は法令違反をしているよねと問うてきた。私が返答に窮していると、ニヤリと笑い、法令を厳密に守ることよりも大切なことがあるのではないのかねと言って、私によく考えておくようにと言い残した。
今から20年以上前、私に出された宿題であり、今も時折考えさせらる。
たしかに法令を守ることは大切である。しかし、それ以上に大切なことがあるのではないか。S先生は時折、口癖のように「法律は四角い枠に入った水を、丸い桶で掬うくらいがちょうど良い」と言っていた。
多分、まじめすぎる人、学校で教わったことに固執する人には理解できぬことなのだろうと思います。
重い。でも良い話。ヌマンタさんの先代S先生とその上司たちは、法律は道具に過ぎず、それは社会や人の為の道具であると御存知だったのでせう。
私見ですが、法令の正しさのみを信奉する人は、お勉強が良くお出来になる似非エリートに多いと感じています。