ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

キングの死 ジョン・ハート

2009-08-24 13:09:00 | 
お見事。

随分と沢山の本を読んできたが、これほど反感をそそられた主人公は初めてかもしれない。少なくとも前半では主人公への反感ばかりが印象に残る。中盤に差し掛る頃には、こんな嫌な奴は監獄に落としこんでしまえと、主人公の敵方を応援していた。

しかし終盤に差し掛ると事態は急変して、なさけない主人公も変貌を余儀なくされる。キング(尊大な父親)からの束縛を脱して自分の人生を取り戻そうと奮闘する。こうなると、今までの経緯を忘れて主人公を応援したくなる。

いつの時代でも、親は子供を束縛したがる。その束縛が子供の人生を締め付けて、かえって家族を不幸にすることは珍しくない。

子供のためだと言いながら、実のところは親のためである束縛は珍しくない。この子供を縛り付ける紐は、目に見えないが強くしなやかで、なかなかのことでは断ち切れない。

親からの自立は、子供にとって大人への関門であり、親にとっては自分の人生を総括する契機でもある。自立したからといって親子の縁が切れるわけではないが、離れることにより親子の絆が確認できることもある。

血のつながりは、おいそれと切れるものでもないし、それを活かすも殺すも自らの心がけ次第なのだと思う。

それにしても処女作がこの出来とは恐れ入った。次回作が楽しみな作家が又一人誕生した。お見事、感服である。
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国産ロケットはなぜ落ちるのか 松浦晋也

2009-08-21 12:19:00 | 
そろそろ理系だ、文系だと分けるのは止めたほうがいいのかもしれない。

私自身は文系なのだが、実は理系の勉強は嫌いではない。文系を選んだのは、大学では経済学部を受験するつもりだったからだ。本当は史学を学びたかったのだが、社会に出たら民間の会社で働くつもりだったので、経済を理解することが必要だと考えて、好きな歴史を学ぶことを断念した。

ただ、理工系の勉強もけっして嫌いではなかった。化学や物理などは、まさに知的な面白みがあって、やりがいの有る分野だと認めていた。きわめて実証的な点も、私の知的好奇心を満足させたからでもある。

ただ、いささか数学が苦手だった。これは落ちこぼれだった中一、中二の頃に数学を一切勉強しなかったことのツケでもある。理系を選ばなかった遠因に、数学に対する苦手意識があったことは否めない。

もっとも高校の授業レベルの数学なら、好んで予習していたし、幾何などは面白いと思っていた。ただ大学受験の数学は、いささかつまらなく感じていた。多分、数学はもっと面白いはずだとも思っていた。

そう思いながらも、理系を避けたもう一つの理由は、勉強が大変だと聞いていたからだ。大学を社会に出るまえのモラトリアム(猶予)期間だと考えていたので、実験や論文書きに追われるのも、いささか気が重い。

高校時代の友人のMは「理系に行ったら遊べない」の一言で文系選択を決めた。私より数学的センスは良かったと思うが、きわめて現実的な奴なので、遊ぶために有効な選択をしたようだ。むろん、私も同類である。

大学時代に遊び呆けたことは悔いてはいない。私の場合、遊び=登山(WV部)だったが、まさに学生時代にしか出来ない贅沢(時間的、体力的にだが)な遊びであった。

ただそれでも、理工学関連の知識教養の必要性は年々感じるようになった。もし、頭の柔軟な学生時代に理工系の学部を選んでいたのなら、今よりもずっと理工的なセンスは高まっていたはずだと思うと、いささか悔いることはある。

現代社会はきわめて複雑だ。とりわけ大きな社会的変化に対応するためには、広範囲な知的センスが求められる。日本の場合、明治時代の半ばを過ぎてからは、圧倒的に文系(法学部系)のエリートが社会を主導してきた。

その伝統は今も変らずで、霞ヶ関のエリート官僚はもちろん、永田町の政治家も大学は文系出身者であふれている。安定した社会を統治するのには、この文系エリートたちに任せることは、それなりに有効であったと思う。

文系エリートは、模範解答の決まっている問題ならば、それがいかに複雑でも的確に答を導き出すことに長けているからだ。それが社会の安定につながる。

しかし、未知の分野に打って出ると、文系エリートはいささか心もとない。失敗を恐れ、未知の状況には近似値をもって判断し、過去の実績で解決を図ろうとする。

これが理工系のエリートなら違った解決法を模索する。現実を的確に捉え、実際のデーターから理論を構成して、予測と反証により新たな解決策を練り上げる。

この違いが、日本と共産シナとの宇宙開発に現われた。共産シナの政治指導者は、驚いたことに圧涛Iに理工系の人材で溢れている。宇宙開発のような分野では、理工系の知識、教養、理解力が求められる。

日本の場合、政治家も官僚も圧涛Iに文系であるため、先例(アメリカ)の後を追い、その流れに追随することを志向する。しかし、シナの政治家はもっと現実的だ。自分たちの経済規模、技術レベルに合わせて考え、最適な計画を練り、その実現に尽力をつくす。その結果が今の現状に表れる。

私も表題の本を読んで改めて認識したが、アメリカのスペースシャトル計画は失敗だった。あのやり方であるがゆえに、膨大な予算を無駄に遣い、人材と資源を浪費した。もちろん幾つかの成功例もあるが、当初の見込みからは程遠いことは認めざる得ない。

そのアメリカの宇宙計画に追随した日本も、無駄に予算を遣い、何度もロケットを墜落させる羽目に陥ったことも必然とさえ言える。更に霞ヶ関式の人事異動の慣習の持ち込みが、人材育成を妨げ、理工系のセンスのない政治家たちが、宇宙計画を無駄に拡張して失敗の原因をひろげる。

かくして、日本の宇宙計画はおおいに停滞し、シナはいまや月に届かんとしている。その原因は、著者の言うように、文系偏重の歪みであることは、かなりの説得力を持つ。興味がありましたら是非ご一読を。
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報道の基準

2009-08-20 07:56:00 | 社会・政治・一般
自他共に認める芸能音痴な私だが、それでも日本の芸能報道はおかしいと思う。

八月はじめに元アイドルで女優でもある、のりピーこと酒井法子の失踪と覚せい剤所持による逮捕の報が日本中を駆け巡った。多くの人が関心を持つことは私でも分る。

この報道のおかげで消えてしまったニュースもある。

たとえば美人女優のひもみたいな夫が、某マンションで銀座のホステスさんと違法薬物を服用して、女性が全裸で死亡したニュースだ。

私の価値観では、死亡事件と覚せい剤所持事件では前者のほうが犯罪性が高く報道する価値があると思う。しかし、知名度の低い女優の夫(この人も芸能人らしいが)の事件よりも、一般的な知名度の高い元アイドルの事件のほうが、マスコミ的には報道する価値が高いということなのだろう。

まるで見せしめのように、覚せい剤使用者をさらし者にする報道をして、正義感ぶる報道に価値がないとは言わない。言わないけれど、不法薬物による致死事件を無視していいのか。

視聴率が稼げるほうのネタをワイドショーが追うのは分る。下種なネタのほうが売れると分っている週刊誌の営業上の都合も分る。でも、大手日刊新聞4紙までが死亡事件よりも覚せい剤所持事件を重視するのは如何なものか。(TVは見てないので分りません)

もちろん警察や検察は、当然に死亡事件に手を抜くはずもなく、地道な捜査を続けているのでしょう。離婚を決めたらしい女優のことはよく知りませんが、少なくとも一緒に違法薬物を服用したと思える夫のほうは、浮気相手の異常におののいて逃げ出すような卑劣漢。本来ならもっと批難されて当然の人。

ところが、のりピー事件のおかげでマスコミから放置された。この人は酒井夫婦にいくら感謝してもしきれないでしょう。でも、これじゃあ死んだ女性は報われません。あまりにお気の毒に過ぎる。

別に芸能ネタなんてどうでもいいのですが、それにしたってマスコミの報道の基準の程度の低さがよく分る事件でした。
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俺はまだ本気を出してないだけ 青野春秋

2009-08-19 07:20:00 | 
タイトルだけで腹立たしい。

本屋の棚でみかけた、このタイトルを見ただけで嫌悪感に襲われた。表紙画もそのタイトルに相応しいデザインだ。小太りの中年男性が、生気の乏しい目つきで、なで肩で呆然と佇む姿は、それだけで哀れみを禁じえない。中味を読む前に、反感に囚われたため、なかなか読む気になれなかったが、ようやく漫画喫茶で手にすることができた次第


中間管理職の立場を放り出して、自宅に引きこもる中年男性。朝っぱらからTVゲームをして老年の父親に叱られる。漫画家を目指すと粋がるも、いざ机の前に座っても描きたいことがなにもない。次第に焦りを感じつつも、公園で無駄な時間を過ごす。

なんだか読めば読むほどに腹がたつ漫画である。つくづく、このタイトルに感心させられる。この短い一文だけで苛立たしいのに、読めばなお更腹が立つ。これだけ読者を反応させるのだから、ある意味企画勝ちでもある。読んでしまった私が負けたみたいで、ちょっと悔しい。

まだ本気を出してないなんて科白は、ほとんどの場合怠けている自分を誤魔化す科白であり、甘えを正当化したいだけのわがままに過ぎない。ありもしない実力があるはずだと悲しい見栄をはっているだけだ。

別に仕事に限らず、家事でも育児でもそうだが、常にやる気満々で出来るわけがない。やりたくない時だってあるし、逃げ出した時だってある。それでも、やらねばならぬ。そして多くの人たちは、ままならぬ現実にため息つきながらも、自分なりの矜持をたもって、やるべき事をこなしている。

いちいち、本気を出すとか、出さないなんて言い訳しない。手持ちのカードでベストを尽くす。ただ、それだけだ。

なんか、ここ数年情けない人間を主人公に仕立てた作品が増えている気がします。長引く不況の影響なのかもしれませんが、このような漫画を読んで「自分のほうが、まだマシだ」なんて自己憐憫の情に浸っている人が多いのでしょうかね。それはそれで、侘しく寂しい話です。
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衆議院選挙をやぶ睨み

2009-08-18 12:35:00 | 社会・政治・一般
私は人並み以上に政治、経済などの雑多な知識があると思う。

ところが苦手なのが、選挙の予想という奴だ。今までほとんど当たらない。なんのための知識だと思うのだが、私の予想はことごとく外れる。どうも有権者の意向というやつを認識するよりも、自己の思惑に流されていることが原因らしい。知識があるなんて思い上がりだわな。

そんな選挙音痴な私でも、今回の衆議院選挙では与党自民党に逆風が吹いていることはわかる。一度野党である民主党にやらせてみてはどうかとの思惑が、多くの有権者に広まっていることが感じられる。

率直に言って、今の与党は小泉内閣の遺産(衆議院の三分の二)で食べてきた。食い潰してしまったごく潰し内閣でもある。勇壮なことを口に出そうが、実力が伴わないので竜頭蛇尾に終わっている。もっといえば、小泉改革をいかに無効化するかに奔走する勢力と、それに抵抗する勢力との内ゲバ政権でもあった。

これでは有権者からソッポを向かれても仕方あるまい。

ところが政権交代の受け皿である民主党を素直に支持する気にはなれない。もともと自民党の小沢一味と社会党、民社党の右よりの連中のごった煮政党なので、どうしても社会主義の匂いが漂う。必然的に自虐的歴史認識と姑息な偽善的反省姿勢が目立つ党でもある。

あの村山内閣のような歴史的失態(村山談話や河野談話)をしでかす可能性は極めて高いと思う。おまけに日本のエリート層に根強く残る反米攘夷思想が芽を吹き出す可能性も高い。困ったことに霞ヶ関の官僚たちにも、この攘夷思想に共感を示す人も少なくない。

おまけに現在のアメリカは民主党のオバマ政権だ。核兵器を放棄する気なんぞ毛ほどもない癖に、広島長崎の悲劇に理解を示すかのような口先の巧いオバマの尻馬にのってバカをやらかす可能性は高い。多分、マスコミが煽動して、ますます混迷に拍車をかけること間違いなしだ。

はっきりと断言しますが、首都を米軍基地に包囲されたような国が、アメリカから離反することは夢物語。シナやそのおまけには、アメリカの代替となることはできない。

日本は軍事的にはアメリカの従属下にあり、経済的には協調せざる得ない立場にある。建前としては政治的に平等であるとしても、現実にはアメリカの下位に立たざるえないのが冷徹な現実です。

ところが、民主党には反アメリカ的な言動を売りにする小賢しいオバカがかなり居る。それを煽動する軽薄マスメディアと、それに安易に流されるアホな有権者にも事欠かない。

おまけに日本を敵国とみなしている国に、媚売ることが平和を守ることだと思い込める、下種な愚かさを自覚できない政治家が少なくないのが民主党だ。

自民党に対するお仕置きとして、民主党にやらせてみたい気持ちは私にも若干あるが、それでも民主党を信じる気にはなれない。

ただ、もう一つ想像できることもある。半世紀以上の伝統を持った日本社会党が有権者の支持を無くして解体に追い込まれたのは、皮肉にも村山連立内閣当時の実績による。批判していれば政治家面できた野党とことなり、政権与党には実際的な実務能力が必要だった。それが欠如していることが露呈してしまったがゆえに、日本社会党は長い歴史に終止符を打つこととなった。

民主党が同じ轍を踏むとは限らないが、あの空想平和主義と自虐偽善主義とを実現しようとして馬脚を現す可能性は高いと思う。具体的にはアメリカからの離反を目指した行動になる。これが日本を危機に追いやり、結果的に極端に右よりの政治的風潮を産みだすことが浮「。なぜなら、極端な右よりの政治もまた反米自主独立の夢に燃え上がるからだ。

戦後日本の政治的基調はアメリカ追随であり、経済に主眼を置いて国内の安定成長を目指したことだ。極端に右や左に振れた政治は、精神的には高揚をもたらすが、現実には日本を危機に追いやると思う。

アメリカが永遠に覇権国家であることはなく、いつかは衰え、日本も新たなる道を模索せねばならぬ時が来る。しかし、それは今ではない。

予測される民主党主体の次期政権が、いかなる政治を実際にやるのか、ちょっと意地悪に見守っていこうと思います。
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