>クルマなし生活の厳しい現実
先日、「地方暮らしはクルマがないと生活できないは9割甘え」という投稿がネット上で物議を醸した。この発言に対し、地方の実情を知る人々から批判が殺到した。
ちょっと考えさせられた記事でした。物議をかもした投稿者の言い分も分からないではない。私も東京近郊の地方へ仕事で行くことがたまにありますが、本当に自動車社会です。でも、よくよく見ていると、車でなくても良い場面でも車を使う人が多い。
例えば近所にタバコを買いに行くにも車。よほど遠いいのかと思いきや、徒歩5分程度。歩ける距離だと思うけど、平然と車を使う。まぁ暑い夏場や強風が吹く冬場なら分かる。でも私ならば自転車もしくは徒歩で行くと思う。
ちなみに東京に上京すると、階段の多さに苦情を言う人が多い。日ごろ歩いていないので、東京の坂の多さからの階段利用が辛いらしい。なお、農家の方はそんな不満は言わないから、足腰の頑丈さが違うのだろう。
その一方で「クルマがないと生活できないのは9割甘え」だと云われて反発する人の気持ちも分かる。だって代替する交通手段がない、あるいは少ない過ぎるのも現実だからだ。第一買い物に行くのも車でないと遠すぎるし、荷物の重さも考えれば徒歩は無理。それを甘えだと云われれば腹も立つ。
地方暮らしに憧れる人は少なくないが、実際に暮らすと数年で住み慣れた都会に戻ってくるケースが後を絶たない。都会とは比べ物にならないくらいに近所付き合いが必要だし、地元の人の輪に入っていく困難さも一因である。
実際、私も役所の方から「三世代は住み続けないと地元には受け入れられない」と聞かされたこともある。その地方を支えてきた地元住民の結束が固いのも、相応に根拠があるものだ。
しかし、日本の置かれた特殊な状況が変化を強要する可能性が高い。もう高齢化が進むばかりで、地元住人だけでは地域が維持できなくなり、結果的に廃村、無人家屋の増加は既に現在進行形である。
霞が関のエリート官僚様たちは、そのような将来を見据えて地方切り捨ての政策の地盤を少しづつ固めているのが実情だ。もちろん地方自治体も必死で地元の活性化を模索しているが、成功例は少ない。
増える一方の空き家と、放置された農地。この問題はなにもしないと過疎地の拡大に帰するだけ。なお外国人の流入は既に現在進行形の問題なのだが、残念ながら霞が関のエリート官僚様は現場に無知なので良くて地方自治体へ丸投げ。最悪、見なかった、だからなかったことにしている始末。
具体的には無理やり現行制度に合致させようとする法務省と、現状追認ただし納税してねの財務省、縄張り死守の総務省の三つ巴の足の引っ張り合い。本来、政治が舵を取るべきなんですけど金にならない問題には無頓着な与党と、相も変らぬ正義厨の野党が機能不全。
クルマの有無で済む問題ではありませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます