
梅雨に相応しい曇天、牛守としては、勝手ながら雨が降らないだけマシだと安堵している。外の気温は15度(午前7時20分)、肌寒い。
昨日の午後、1ヶ月に一度は病院へ行かねばならず、里へ下った。そこで会った人の何人からか「暑かった」とか「蒸し暑かった」と言われて、思いがけない言葉を聞くように驚いた。ようやく牧の状態も少し落ち着きそうだが、昨日などそんなことには気が回らなかった。
3時半過ぎ、パドックへ置いてあった和牛27番を他の群れがいる第2牧区へ移し一段落した途端、5時までに里に下らなければならないことを思い出し慌てた。そして、下界に向かって軽トラを走らせながら、その日は昼飯も、血圧と痛風の薬も飲んでいないことに初めて気付くような始末だった。
獣医のSさんや畜産課のO君と茶を飲む時間はあったし、その前には撮影の下見に立ち会うこともできたが、気が急いていた。病院で血圧を計ったら、予想通り上は150を下は90を超えていた。
ついでに家にも立ち寄り、たくさんの郵便物の中に「Fielder」という、文字通り野外活動を扱う雑誌を見付け持ち帰った。本には、取材などで3回ほど会った著述家宗像氏の書いた、鎌倉幕府の執権北条高時の次男時行に関する記事が掲載されているはずだった。
上に戻って、早速その本を開いたところ予想以上に長い記事で、それに時行の広範な活動域ばかりか、内容も深く、疲労困憊の頭の中で読んでは著者に失礼と思い翌日に譲ることにした。疲労のせいで500㏄1本のビールすら飲み終えぬまま寝てしまった。
時行に関しては、この独り言にも何度か登場している。彼と関係する中先代の乱や後醍醐天皇の皇子・宗良親王にも触れた。しかし、さすがと言うしかないが、ここまで辿ることはできなかった。宗良と時行を「二人のプリンス」と捉えたのも、前者は天皇のまさしく皇子、後者は鎌倉幕府得宗家、執権の次男であり、皇室と武家の違いはあれど、確かに二人は「プリンス」である。
牧場管理人の名前も出てきたりして大いに面映ゆい気もしたが、宗像氏の気遣いであって、記事に貢献しているとは言えない。(6月24日記)
それでもいつか里で暮らすようになったら、この悲劇の武将北条時行の足跡をもっと時間をかけて訪ねてみたいと思っている。
それに、木地師、落人部落、日朝上人、宗長親王、武田勝頼、天狗党、神足勝記等々、信州の山深い里であればこそ生まれ、語り継がれた物語をきっともっと聞くことができるだろう。
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本日はこの辺で。