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折角の3連休だったが、あいにくの雨で外出予定を取り止めた人たちも多かっただろう。上のことを気にしつつも大人しく家にいて、長い一日をどう呟いたらよいのか思案している。
きょうの「毎日新聞」によれば、「全米豚肉生産者協議会副会長」という肩書の人が、日本に対し「市場開放を早期に実現するよう求める考えを強調した」とあった。そういう複雑な問題はさておいて、狭いケージの中で卵を産み続けるニワトリと同じように、豚も身動きのできないクレートに入れられて、産めや増やせの短い生涯を強いられて終わる。豚は非常に賢い動物で、親子の情も深く、先祖のイノシシのように本来は家族単位で、あるいは群れで暮らす動物だったらしい。不幸にも人間がその味を知り、家畜にされてしまった。豚だけではない、今やこの地球上に生きる大型動物のトン当たりでは7割までが家畜だという。野生動物はわずかに1割そこそこらしい。そして、残りの3割が霊長類ヒト科のわれわれである。
家畜はもちろん豚ばかりではない。牛も馬も、ニワトリも羊も、効率的な工場式農場でよく育てられ、人間に食べられてしまう。それどころかこのごろでは、野生の鹿までもがジビエとか勝手なカタガナ語で呼ばれ料理方法が云々され、すでに家畜のように猟友会の縄張り内で"資産化"が進みつつある。
その畜産業の末端にいて、その上、野生鹿の捕獲にも長く手を染めてきた。牧場の牛たちの管理をしながら牧畜の実態を目にし、少しは学びもした。しかし、口の周りをソースだらけにして「オイシイ」と独特の語尾を上げて喜ぶ〝カナカナ"の現代女性と、どれほども変わらない。家畜に対し軽々に同情的な発言をしては、偽善者になるだろう。悩ましい。(12月23日記)
それでも、どうしても納得しがたいのが、「シー・シェパード」などの反捕鯨団体である。畜産業の盛んなオーストラリアやニュージーランドに暮らしながら、捕鯨には反対する。それも、アメリカなどは鯨油を求めて散々クジラを殺してきた歴史を持っている。理由は簡単で、われわれ日本人が犬を食用にしないのと同じように、かれらの食習慣の中にクジラは入っていなかったという、ただそれだけのことだ。生魚を食べなかった人々の間でも、今では「スシ」は大人気。
O里さん、分かりますよ。あなたが木曽の御料林を思い浮かべるように、遠い北の国の針葉樹の森を懐かしんでいるのですから。シベリア再訪の夢はまだ続いていますか。
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