入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’18年「冬」 (42)

2018年12月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 折角の3連休だったが、あいにくの雨で外出予定を取り止めた人たちも多かっただろう。上のことを気にしつつも大人しく家にいて、長い一日をどう呟いたらよいのか思案している。
 
 きょうの「毎日新聞」によれば、「全米豚肉生産者協議会副会長」という肩書の人が、日本に対し「市場開放を早期に実現するよう求める考えを強調した」とあった。そういう複雑な問題はさておいて、狭いケージの中で卵を産み続けるニワトリと同じように、豚も身動きのできないクレートに入れられて、産めや増やせの短い生涯を強いられて終わる。豚は非常に賢い動物で、親子の情も深く、先祖のイノシシのように本来は家族単位で、あるいは群れで暮らす動物だったらしい。不幸にも人間がその味を知り、家畜にされてしまった。豚だけではない、今やこの地球上に生きる大型動物のトン当たりでは7割までが家畜だという。野生動物はわずかに1割そこそこらしい。そして、残りの3割が霊長類ヒト科のわれわれである。
 家畜はもちろん豚ばかりではない。牛も馬も、ニワトリも羊も、効率的な工場式農場でよく育てられ、人間に食べられてしまう。それどころかこのごろでは、野生の鹿までもがジビエとか勝手なカタガナ語で呼ばれ料理方法が云々され、すでに家畜のように猟友会の縄張り内で"資産化"が進みつつある。
 その畜産業の末端にいて、その上、野生鹿の捕獲にも長く手を染めてきた。牧場の牛たちの管理をしながら牧畜の実態を目にし、少しは学びもした。しかし、口の周りをソースだらけにして「オイシイ」と独特の語尾を上げて喜ぶ〝カナカナ"の現代女性と、どれほども変わらない。家畜に対し軽々に同情的な発言をしては、偽善者になるだろう。悩ましい。(12月23日記)
 それでも、どうしても納得しがたいのが、「シー・シェパード」などの反捕鯨団体である。畜産業の盛んなオーストラリアやニュージーランドに暮らしながら、捕鯨には反対する。それも、アメリカなどは鯨油を求めて散々クジラを殺してきた歴史を持っている。理由は簡単で、われわれ日本人が犬を食用にしないのと同じように、かれらの食習慣の中にクジラは入っていなかったという、ただそれだけのことだ。生魚を食べなかった人々の間でも、今では「スシ」は大人気。

 O里さん、分かりますよ。あなたが木曽の御料林を思い浮かべるように、遠い北の国の針葉樹の森を懐かしんでいるのですから。シベリア再訪の夢はまだ続いていますか。

 もう思い浮かぶ惹句も尽き・・・、「冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。





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     ’18年「冬」 (41)

2018年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日、終わりに「あんな最後でしたが、写真家星野道夫がなぜ銃を持たずにアラスカの自然の中に入っていったか、知ってますか」と呟いた。もう少し正確を期すなら、「持って行かなくなった」とすべきだったろう。初めのころは、彼の荷物にもライフルが含まれていたからだ。それが「銃で自分を守れるという気持ちが、自然の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ(「アラスカ 光と風」福音館書店)」と書いている。
 雪崩対策用に開発された器具が登山者やスキーヤーの間で使われ出したことは知っていた。そうした安全対策を一概に否定するつもりはない。岩登りの際に使うロープも、実際に墜落を止めてくれるかは別にして、あるとないとでは精神的な安心感は比較にならないことをよく知っている。それでも、こういうふうにどんどんと安全のために登山のありかたが変わっていくのを、単純には喜ぶことができない。登山は歩くという肉体運動に加え、それにも劣らない精神的な面での魅力が大きい。それに、効果のある調味料のように、安全とは矛盾する危険が密かに人を呼び寄せることだってある。トップ・ロープで確保されて、人工の壁だけを攀じていては分からない世界がある。しかしだからこそ、大いなる自然に対する「謙虚さ」も湧いてくるのではないか。「危険を甘受するのだ」と言った人もいたではないか。
 それと最近、登山がやたら商業化し過ぎてはいないかという反撥心があって、ヘルメットや雪崩対策用のビーコンの発生器などにもそれを感ずる。新雪の表層雪崩ならまだしも、春の湿気を含んだ全層雪崩では遭難者の遺体発見には役立っても、それを装備していた本人のためにどこまで救いになってくれるかは分からない。



 今年ももうすぐ終わるのだから、お前もここに登場させてもらい、挨拶をしろ。HALは12歳、この冬も雪の法華道を連れていくには、少々気掛かりではある。寒さに強いはずの川上犬がこの頃はよく震えている。

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     ’18年「冬」 (40)

2018年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                       Photo by Ume氏

 まだ外は暗い。このごろ、こんなふうに早朝4時とか5時前に起きてしまうことがある。しかし、あまりそれを苦にはしてない。今やもう、洞穴の住人のような者、好きな時に起きて、好きな時に眠ればいいとしている。朝だろうが、昼だろうが、退屈したら好きな時に風呂に入り、酒も呑む。お蔭でそういう日は飲酒が縛りになって、終日炬燵の虜囚の身に甘んじていられる。
 酒といえば昨日、入笠から帰ってきたら「ジャック ダニエル」の3リッター壜などという怖ろしい酒が、送り主不明で届いていた。誰だろう。

 昨日も上に行った。折角の雪景色を、この呟きのために撮っておこうとしたのだが、どういうことかPCに取り込めない。面倒なことをしないで済むようにと、iCloudサマのお力に頼っていたのに、またしても反逆されている。前にも呟いたが、これが一体完成された商品なのかと疑問に思う。車に関しては最終検査がどうした、燃費の記録が不正だったと大騒ぎしても、IT機器は使用者の責に帰せられるのかあまり騒ぎにならない。人々のこの寛大さが不思議だ。
 それに、どうでもいいような機能ばかり満載して、無駄が多すぎはしないか。この機種はこの範囲までの機能、この機種の安全度は5段階別の2とか3とか、というようにできないのだろうか。老人向けがあるのは知っているが、ゲーム狂いの小僧とヨイヨイのオヤジを一緒にしたり、民草のPCの安全度とNSCの高官のそれと同じである必要などないだろう。と、思うのだがよく分からない。こんなものの取り扱いに詳しくなる気はサラサラないし、それくらいなら毛糸網でも覚えて、手袋や帽子でも自作した方がマシだ。

 ある新聞社系の週刊誌を見たら、「『失敗しない』地方移住」の題名で伊那市が取り上げられていた。曰く「自然環境と生活支援が充実した長野県伊那市」だと。確かに天災は少ない、自然環境も山あり川あり、入笠もあるので、悪くはない。まあ、地方で暮らすというのは、幸せになれるのも、満足できるのも、その人の性格がかなり大きく、あまり野心を燃やしたり、欲張る人には向かないだろう。移住者である馬耕のY君は二人の子を持ち、まず愛妻、そしてその仕事に人生を賭けて惜しくないと熱く語っていた。最近知ったあの若い夫婦も折れずに、ぜひあの土地に根付いて欲しい。

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     ’18年「冬」 (39)

2018年12月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                      Photo by Ume氏

 昨日ほど、百姓山奥いつもいる氏の実力と人柄に打たれたことはない。感服、「大先生」の称号を贈りたい。その大先生と昨日は製材所に行くことになっていたが、何の連絡もないので電話したら、一人で300キロ以上の丸太を軽トラに載せ、小豆坂トンネルを抜けたばかりだという。重さが重さだけに一度では無理で、もう一本取りに再度隠れ家に戻ると言う。それで急遽、製材所に駆け付けた。この丸太も、その丸太も来春、上で使うために用意してあった材料だ。どうやってこれらを軽トラに積んだか、その方法を知って恐れ入った。ロープ、滑車を赤松の木に掛け、そして丸太を括ったワイヤーとロープを繋ぎジムニーで引っ張り、吊り上げてから積み込んだのだ。その発想、工夫、努力すべてに脱帽。



 とにかくそれは終わったが、その後があった。知人の会社に保管してもらってあった宴会用の大型卓を、これまた上に持っていくという仕事が残っていたのだ。とても軽トラなんぞで運べるような代物ではないと思っていたが、一応大きさの確認のため昼飯も食べずに保管場所へ行ってみた。すると、かろうじて軽トラにおさまることが分かった。ならば、ということで4人がかりで積み込んでみたはいいが、しかし持って行く先の上には手を借りられる当てなぞない。これも、300キロそこそこはある。内心では最悪、里に戻すことも覚悟しなければならなかった。雪は峠を過ぎると一気にその量を増し襲い掛かってきた。今冬初めて見る本格的な雪降りだった。
 案の定、ふたりでは降ろすだけでもほとほと苦労したのに、狭い小屋の入り口から運び入れるなど牛を引きずり込むよりも困難な話。やむなくしっかり養生して、軒先に置くしかないという結論を渋々受け入れるしかなかった。
 ところが、山奥氏はエライ!分解できると見抜いたのだ。

 赤羽さん、通信有難く拝読しました。だんだん山は快適化ばかりが進むようです。あんな最後でしたが、写真家星野道夫がなぜ銃を持たずにアラスカの自然の中に入っていったか、知ってますか。
 
 今週末はまた3連休。一人でも、二人でも予約を受け付けます。
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     ’18年「冬」 (38)

2018年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                Photo by Ume氏

 数年前、小学校時代の同級会を、恩師の家からあまり遠くない某温泉地で開こうとしたことがあった。その下見に行ってみて、あの北信濃の雪深さには呆れた。今でこそ、交通手段はかろうじて確保されてはいても、それでも郊外なら隣家を訪ねるにも、雪の中を泳ぐようにして行かなければならないだろうと同情した。それが除雪機はおろか車もない時代、蓑笠を着て雪かきをしなければならなかった人たちの真似が、現代のわれわれにできるのだろうか。
 マグロの刺身を生涯口にすることがなかった人や土地(これは譬えであって、北信濃の人がそうだったというわけではない)、雪の中に埋没するようにして長い冬を過ごすしかなかった人々の暮らしを思う。いや、そういう暮らしをしてみたいのではなくて、逆にとてもできそうもないからこそ、想像でだが、そういう暮らしに身を置いてみる。その時代も、大雑把に言えば戦前か、さらにもっと以前の。
 
 ――― 日がな一日炉端に座り、手仕事の合間に出涸らしの茶をすする。一日が終わるまでに、それを何回繰り返すのだろう。テレビやラジオなどといった娯楽はない。毎日のように灰色の空から雪は容赦なく降り続け、洗濯などしないでおこうと思うかも知れない。いや、水だって水道栓をひねればというわけにいかず、水甕の凍り付いた貴重な水を大切に使う家も多かっただろう。だから風呂などは当然毎日とはいかない。食べる物だって、漬物とせいぜい干しダラぐらいで我慢していたのだろうか。隙間風が夜通し吹いて、粉雪が舞い込む極寒の夜・・・。

 小便所ここと馬呼ぶ夜寒かな  - 一茶 -

 小さなころ、親戚の家に泊まった夜、似た経験をした。その家の年寄りは、まだ膳を使っていたのを覚えている。
 
 入笠牧場の山小屋も、冬季は水道が使えない。近くの取水場まで行って、水汲みをすることが必須となる。以前は、雪を融かして使ってもらっていたが、何とか苦労して水は確保できるようになった。こんなことを呟けば、余計に敬遠されてしまうと心配するかも知れないが、年末年始もっと過酷な冬の山へ行こうとする人たちは絶えない。大丈夫だ。

 今週末はまた3連休。一人でも、二人でも予約を受け付けます。
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