<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

無有恐怖(むうくふ)の世界であれ

2014年08月27日 14時38分36秒 | Weblog
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃   (般若心経より)

しんむけいげ むけいげこ むうくうふ おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん



わたしのこころには、罣礙がありません
罣礙がありませんので 恐怖することもありません
顛倒した夢想から遠離って 涅槃を究竟するばかりです



罣礙(けいげ)とは執着の棘のことだろうか。喉に棘がひっかかって呑み下せない。
それがなくなったので、恐いものがなくなった、もう安心していい、と言っている。
恐怖心が取り除かれたのであれば、そこには安らぎがあるであろう。

「顛倒した夢想などに振り回されていないで、仏さまの智慧をいただきなさい」がここでの結論だ。



幽霊の正体見たり枯れ尾花。枯れ尾花だって恐いのだ。幽霊ももちろん恐い。
恐がらせるものはみんな恐い。恐がらせてなどいないものでも、
それを勝手に恐がらせるものにして、恐がったりもする。
勇敢を誇示している者でも、内心は小心者で、びくびくしている。
恐がらせてはならないが、恐がってもならない。
顛倒した夢想をふくらませておいて、それを恐がることもある。



無有恐怖(むうくふ=恐怖することなし)は安らぎの境地である。寂静涅槃である。
莫妄想(まくもぞう)。妄想(=顛倒夢想)を抱くことなかれ。
妄想を抱いて恐怖することなかれ。
仏さまはわたしたちに無有恐怖でいなさい、と語っている。
恐がることはなにもないんだよ、いつか訪れる死も恐がることではないんだよ、と語っている。



人を恨めばそれが妄想になる。人を羨めばそれが妄想になる。
人を憎めばそれが争いになる。戦争になる。戦争になればますます人を恨むことになる。
顛倒した夢想(=妄想)は平和な世界を招いてこない。



仏教は、畢竟するに、「みんな安心していていいんだよ」「何がどうあっても安心していていいんだよ」ということを語っているように、(わたしには)思える。

誰もがそう願っているはずである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間がよほど恐かったとみえる

2014年08月27日 12時35分25秒 | Weblog
急ブレーキを掛けてやっと自転車が止まった。道幅3mほどの畦道を青大将が渡ろうとして丁度その中央に走り出ていた。青大将は体長が長いので道一杯になっている。真っ直ぐだ。そして硬直している。動かない。ガチガチになっている。全身に恐怖の波がジグザク模様で波立っている。ゴジラのようにでかでかしい人間がすぐそこまで来て、そして急ブレーキの金属音を立てたのだ。「恐がらなくていいよ」「おれはどうもしないよ」さぶろうが声を掛けたが、こっちを睨んだままびくともしない。尾さえ固まったままだ。よほど恐かったのだろう、とさぶろうは思った。「さあ、渡り終えてよ」もう一度声を掛けた。それでも硬直は解けない。さぶろうは、ゆっくりと迂回するようにして、蛇を避けて通り越した。青大将は無毒だ。ネズミや小鳥などを補食する。木登りが得意だ。人間がよほど恐かったと見える。人間、そうだ、さぶろうは恐怖を煽る人間だったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏でなければわたしに見えるはずはない

2014年08月27日 12時28分45秒 | Weblog
山は仏である
空は仏である
海は仏である
どこまで行こうと仏である

木は仏である
雲は仏である
風は仏である
仏でなければわたしに見えるはずはない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さぶろうよ、死んだらどうなるか

2014年08月27日 12時03分32秒 | Weblog
さぶろうよ、死んだらどうなるか?

へ、生きても死んでも仏さまの世界であります。

生きている間も仏さまのお膝元、死んだ先も仏さまのお膝元。

さぶろうは、ほかに行きようがございません。



仏さまの智慧(金剛界)と仏さまの慈悲(胎蔵界)がわたしを生かしておって、順序通り仏法の通りに、わたしを死なしめるので、心配はございません。

どこまでもどこまでも仏さまの一本道なので恐ろしいことはございません。



仏さまの世界などどこにあるか?

へ、

夕べは夕顔が咲いておりましたが、ご覧の通り、今朝は朝顔が咲いております。



こうやって夕顔を咲かしめ、朝顔を咲かしめるハタラキ、ハタラキ通しのハタラキ、これがさぶろうの仏さまであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無義 義なきを義とす

2014年08月27日 11時34分22秒 | Weblog
学匠は無義のみのりに敢えて義を立つ。

学問をした人は悲しいことに術に堕ちる。どんな術に? 義を立てる術だ。理屈を付ける。無義のみのり、つまり無義の完成に理屈をつけてかかる。仏に理屈をつけてかかる。仏法に理屈をつけてわがものにして、はからう。おのれのはからいを立てて仏をはからうので、完成完了のおはからい(=無義のみのり)が信じられない。

はからいは学匠を自慢する者の工作思考。おはからいは仏さまの無上正等正覚。

「はからい(人知)」が「おはからい(仏智)」に太刀打ちできると思って太刀を構えてかかる。



念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。   歎異抄第十条



夕焼けの空は無義の空である。ことさらに義を立てざるがゆえに。無義が夕空に広がってたわわにみのっている。

わたしの義を燃やしても夕空を耀かすことなどできはしないが、夕空はそのままで、無義のままで、耀いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしは曼珠沙華 夕日に染まっているばかり

2014年08月27日 11時18分20秒 | Weblog
駄目ですなあ
あなたは怠け者ですなあ
ちいとも働こうとはしないじゃありませんか
まわりの役に立とうなんてしないじゃありませんか

そうは言われたって
わたしは曼珠沙華
夕日に染まっているばかり



たしかに曼珠沙華氏は怠け者です。
夕日の染まってばかりで、
夕日を染めようなんて思ってもいませんし、
行動に移すこともできません。



朝日は仏さまの智慧の光、
夕日は仏さまの慈悲の光です。
照らされているだけでいいのです。



李野うとも怠け者である。働かない。役に立とうとしない。
寝そべっている。ぐうたらに徹している。

そして怠け者は怠け者の抗弁をする。(嫌な奴!)

生きている間のこの世は、ただただ照らされているだけでいいところだ、とかなんとか。
とかなんとか。



もしも、しかし、朝日が智慧の光、夕日が慈悲の光だとしたら、だ、だだだだだ、照らされているだけでいいんだよなあ。それ以上はないんだよなあ。

うっとりうっとりしているだけでいいんだよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしはかがやかされているばかり

2014年08月27日 11時06分58秒 | Weblog
あなたが
わたしを
かがやかしてかかるので

わたしは
かがやかされているばかり
かがやかされているばかり

あなたを
かがやかそうとしないで
かがやかされているばかり

雲間からこぼれた光が
わたしにとどいた
わたしにとどいた

きらめくあなたの
うつくしいかがやきが
わたしにそのまま照り映える
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋に落ちる。相手は誰だ。

2014年08月27日 10時50分33秒 | Weblog
夕ぐれは 雲のはたてに 物ぞ思ふ あまつそらなる 人を恋ふとて    古今集 よみ人知らず



夕暮れは入り日が落ちてくる。雲が赤く染まる。赤い雲の向こうの遙かな海にも落ちるが、近くの山の端にも落ちる。わたしは恋に落ちる。相手は誰だ。あまつそら。空が女人の貌をしてわたしを誘う。「あまつそら」は天空。たしかに吸いこまれそうである。わたしを住まわせている宇宙とは、かくも神秘的なのだ。とりわけ夕暮れ時には。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うとうと男の李野うと

2014年08月27日 10時33分03秒 | Weblog
李野うと。これはわたしのペンネームです。

李(すもも)の続く野原でうとうとうとうと昼寝を貪っている男です。李の真っ白い花が咲き乱れています。その匂いを嗅いでいると五感が消え入ってしまうのです。



「うとうと」

おまへ
うとうとしかできないのか

李の花の白い野原で
男が
うとうとと昼寝をしている

花蜜を集める仕事をしている花虻が
来て
「おまへ うとうとしかできないのか」
と囃子にかかるけれど
一面の李の花が
「あなたはそうしていらっしゃい」
と誘うので
男は
それを忠実に実行しているだけの
まことに勤勉な男なのだ

李の花の匂う白い野原で
風といっしょに
男が
うとうとうとうとしている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここは仏さまと仏さまの国である

2014年08月27日 10時11分12秒 | Weblog
わたしはねじ曲げて解釈をしているところがあります。正しい解釈をしていません。エモーショナルに過ぎるところがあります。ご注意下さい。独り合点が過ぎています。独断です。

「わたしはそのように受け取っております」というだけです。信憑性はありません。



唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ) 
乃能窮尽(ないのうぐうじん)

ただ仏さまと仏さまのみが
仏さまの世界を窮めておられます

(「与」は「・・・とともに」の意)



「ここは仏さまと仏さまの国」 
              李野うと作詩

仏さまが仏さまと二人でおられます

そうです
ここは仏さまの国です

仏さまと仏さまの世界であるのに
そこへ
わたしを連れて行って
風の中に座らせていますと
それだけでもう
いい気持ちがするのです

わたしに仏さまがわかるわけではありませんが
そこに
仏さまと仏さまが
ふたりしておいでになるということが
わたしをいい気持ちにさせているのです

そうです
ここは仏さまと仏さまの国なのです
星々はきらきらと耀いています

わたしが
仏さまの世界を窮めることができなくとも
これでいいという安らぎが
わたしの海に満ちるのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする