<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

タマ・シイは思惟する玉である。

2014年08月29日 09時32分45秒 | Weblog
へえ、そうなんでございます。見えないものはみんな<タマ・シイ>なんでございます。学者さま方はそれを識だとか、意識だとか阿頼耶識だとか、難しい名つけておられるようでございます。タマ・シイは、物質的には、つまり物質の眼鏡を通してみれば、空洞のからっぽで、そこに身を置けばからんからんとした乾燥音を立てます。ぜんたいが壁玉(ぎょく)のブルーグリーンの色をしています。

思惟する玉で、タマ・シイ。思惟が存在の中心でございます。見えているものはあれは思惟の陰影でございます。まあ、言い切ってしまえば、それは遊びのようなもの。玩具遊具のようなもの。苦しみだ悲しみだ、愛だ憎しみだ、損をした得をしたという具合に、そこそこ遊ばせてもらっているのでございますが、あくまでもその奥座敷に鎮座しているのは思惟の玉。それで全宇宙の存在を深めておるのでございます。わたしという単独の存在を深めているばかりではないのです。

全宇宙的存在が深められればそれだけわたし単独のそれは浅くてかまわなくなります。貧しくてかまわなくなります。わたしが偉くなったとか強くなったとか、或いはそうでないとかは問題にならなくなります。わたし単独が貧しくとも浅くとも、タマ・シイはちっとも恥ずかしがりません。広々として明るく温かいばかりです。へえ、思惟の陰影を、わたしやわたしたちや宇宙全体の暗さだとしなくともいいのでございます。

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たましいのつましき食事

2014年08月29日 08時31分50秒 | Weblog
たましいのつましき食事する雲を入り日囲みて百舌鳥(もず)を鳴かする   李野うと



雲にはたましいがある。腹がへるときには、ぎょろりとした目をしている。雲はたましいの目もて食事をする。がつがつはしない。食べる量もつましいものだ。今日は何を食べたか。貧しい農夫と貧しい漁夫の働いている背中だ。お金持ちのそれを食べたっておいしくはない。食事中の雲を入り日が囲んでいる。天地のたましいが百舌鳥を呼んで来て鳴かせている。雲にばかりか、天地にもたましいがあるか。おお、あるともあるとも。
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