夕食に海鼠を食べた。摺り下ろした大根をたっぷりたっぷり掛け、紅葉おろしを加え、酢醤油で混ぜ合わせた。こりこりして歯ごたえがあっておいしい。舌鼓が出た。
人間は食う。生きているお命を食う。肉でも魚でも野菜でも果物でも、とにかく生きているお命を奪って食う。それで己の命を生き長らえさせる。
おのれの命は、しかし、やらない。おのれ以外のおいのちは奪い取って食うのだが、おのれの命は、しかし、やらない。死ぬまでやらない。ほんの少しもやらない。死んだら燃やして灰にしてしまう。
奪い取ったお命の痛みを痛みとすることがない。悲しみを悲しみとすることがない。そうしていたら、食べることなどできないだろう。
おのれはおのれのいのちが大事である。病にもなりたくない。細菌に冒されたくもない。元気でいたい。そればっかり。それで罷り通る。
生涯、殺生をして通す。不殺生戒など守れたためしがない。それでいて仏頂面をしている。殺生などしたことはございませんという顔をしている。おれは偉いだろうとふんぞり返っている。
海鼠が聞いたら呆れるだろう。人間に無条件でお命を捧げたことを悔やむかもしれない。どうせ捧げる運命なら、近くの鯛やヒラメやエビや蛸にでも喰われた方がましだったなどと思うかもしれない。