<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

こっちへ来てみてそれが分かったよ

2017年02月27日 10時20分40秒 | Weblog

「兄さん、そっちは仮の世で、こっちがほんものだったよ」「こっちへ来てみてそれが分かったよ」などとメールを寄こしてこないかなあ。死んでしまったら、たしかにこちらではもう弟の元気な姿は見られなくなった。それを悲しいと思っている。逝かれてみればさみしい。ひょいひょい淋しい。ひょいひょい風が吹いてくるように、淋しさが風になって吹いてくる。僕は、ここがほんものと思っているので、本物の世界を去った弟を悲しがっているけど、行った先で弟が、「兄さん、そっちが仮の世で、こっちがほんものだったよ」「僕は此処へ来てよかったよ」「此処は真如界。いいところだよ」などと報告をしてくれたらどんなにこころ安らぐだろう。死後の世界とはそうあってしかるべきだ、仏陀の世界だから、そこに辿り着けた弟は喜色満面にして楽しく暮らしているはず、などと僕は漠然とそんなふうに当て推量をして、確信に近づいたようにして、己を慰めては居るのだが。そっちにも紅梅が咲いているのだろうか。クロッカスは黄色い色をしているのだろうか。もう山林の斜面の落ち葉の下から福寿草が顔を見せてるだろうか。

 

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あの世を生きているはずである

2017年02月27日 10時02分29秒 | Weblog

おっはよう。そう言いたくなってそう言ってみた。これは弟が我が家に来るとき、玄関先を歩いて来るまでに、踊ったような足取りをして、少し高い声で乱発する口癖みたいなものだった。それを屋内で聞きつけて、「お、弟だな。やって来たな」というふうに感知したものだった。それを言ってみたくなった。やや素っ頓狂に恍けたようにして。

今朝は春の光が外に跳ねている。霜が降りて、夜明け方寒かった。お布団の中で縮こまった。

弟は、上がってしばらく台所のテーブルの椅子に座ってなにやかやとお喋りをして、帰る頃に、「白菜をくれんやあ」「高菜をくれんやあ」「大根を抜いて行くよ」「フカネギがおいしかろうね」などと言ってねだりものをした。こちらも「どうぞどうぞ。よかしころ取っていかんやあ」などと対応した。

その「おっはよう」が聞こえなくなった。こちらで再現してみるしかない。生きている内にもっと大切に扱うべきだった。飲めない酒でも飲ませてあげるべきだった。そうしなかった。そのうち病が進行してうまいものも喰えなくなってしまった。体に悪いからなどとさもさも医者が言うような台詞を吐いて、食べさせなかった。それやこれやが悔やまれる。いまになって悔やまれる。

どうしているのかなあ、弟は。この世を死んでしまっても、あの世を生きているはずである。そこでも「おっはよう」を飛ばす相手がいるのかなあ。

 

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