人はみな高みへ高みへ昇っているようだ。天空へ無数の階段が立ち上がっている。どれも螺旋階段のようになっていて、それがみな渦潮の渦に見えている。
15)見ている僕と見られている僕と、更にその図を見ている僕というふうに僕が縦列横列に列んでいる。
16)その僕がみんな励ましている。ねぎらっている。背中を押している。彼らはみんな精神界の中で増殖した僕のようだ。
17)僕の姿が見られているということはどういうことだ? 見られている方の僕はまだ物質を保っているのかもしれない。
18)・・・・ これは今朝の僕の内的イメージである。
19)イメージを楽しんでいられるほどに、僕は寛いで、広々となって、やけに落ち着きがあって、やれやれ、のんびりしたもんだ。
20)実は、こう。こういうことをはっきりさせようとしていたんだった。つまりこの位置、今日の現在地点、朝の珈琲を飲みながら書斎に座っている自分がその高みに届いていた自分であったってこと。それを。
21)それをはっきりさせようとしていたのだ。ここまで登り詰めてきている自分だったってことを再認識させておこうと思ったのだった。おしまい。
8)耳に「おおい、おおい」の声がする。誰の声なんだろう。僕の魂なのだろうか。体内のあちらこちらで快感ホルモンがどっさり分泌されているらしくて、ここちよい。ひどくここちよい。
9)「1000段の階段がもう1000回続いてもそこで行き止まりにはならないから、安心して昇って来て下さい」という標識に書いてある。それを読む。安心していいなら安心をすることにしよう。
10)行き止まりがないということはどういうことなんだろう。無限大ということなのだろうか。無限の高さということなんだろうか。どうして僕をここへ、この高みへ引っ張り上げて来たのだろう。
11)意図を探りたくなるが、はっきりしていない。ただやたらとドパーミンやアドレナリン、βエンドロフィンが分泌されるので僕は瞑想状態の僕のようにハイになっている。
12)達成感もある。成就感もある。孤独感はない。誰かがしきりに話しかけてきている。静寂を保つほどの音楽も鳴っている。
13)僕の送受信の波動も明らかに高くなっているので、いやにすっきりして、温かみがあって、もうかれこれ雑念のようなものに邪魔されることもない。
14)僕は1000段上がるごとに僕の変化を楽しんでいられるようだ。そういう僕が僕に見られている。
1)天空へ石段が1000段続いている。そこまで登り詰めるとまたそこから1000段の石段が続いている。
2)それを数十回。もう随分高い。息がふうふうする。一休みしたあとへ更に1000段が続いている。綿雲のところまで来た。
3)雲を抜ければもう石段はないかと思っていたが、まだある。手招きをしている手も見える。
4)左足麻痺の僕は杖を突いてでないと上っていけないので、時間が健脚の人様の倍の倍かかる。とぼとぼとだが、意欲は衰えない。次の1000段を昇る。
5)ここまで来ると大きな青い海が眼下に遠く見渡せる。ここで一服。お茶が運ばれてくる。これを飲み干す。もういいだろうと思う。空がぎらぎらして眩しい。
6)でもそこにもまた1000段が設けられている。勾配はそれほど険しくもない。螺旋階段ふうに捩りながら上を目指すことになる。すたこらすたこら登り詰める。
7)地上の風景の何もかもが小さくなっている。1000段の石段の500回目の頂きに出る。この踊り場で小休憩。
おはようさん。東の空を昇って来た大陽さん、おはようさん。僕の書斎の障子戸を明るく照らしている光さん、おはようさん。そおおっと障子戸を開けると、今度はそこに庭が開けていて、朝の紅梅が咲いている。うつくしい紅梅さん、おはようさん。目を挙げると祇園山のこんもり木立が緑色にしっとり濡れている。わたしの前にすでにもうちゃんと展開しているさわやかな朝の風景さん、おはようさん。生きているわたしのための生きている時間と空間さん、おはようさん。今日は日曜日。朝食はまだ。万事が安定を得て、ゆっくりゆっくり動いている。それに倣ったようにして、僕に付随したスピリチュアルワールド、精神界も至極安定をしている。
ああ、そうだったね。おいしいとこ取りをしていればいいようにしてあったんだ。お膳立てはみんな済んでたんだ。そこへ僕が誕生する。僕は、僕の誕生を喜べばいいようにしてあったんだ。僕が誕生するまでのさまざまな経過なんてひっくり返さなくて、何にも蒸し返さないで、いまのそのままを喜ぶことがスタートだったんだ。そこからスタートをしていいよって。いいとこ取りをしてもいいようにしてもらってたんだ。上前をはねるなんて言葉があるけど、それをちゃっかりやってたんだ。緑の山をよろこぶ。青い空をよろこぶ。深い海をよろこぶ。涼しい風をよろこぶ。明るい光をよろこぶ。さあどうぞどうぞって。よろこびが出来上がっていますから、あなたはそれをお食べ下さい、どうぞどうぞ好きなだけよろこんでいていいのですよ、という具合に。何もかも準備は整って完了していた。僕が喜びからステート出来るように、何もかもが整えられてそこに列んでいた。後は僕がそれをよろこぶだけになっていたのだった。そういう完了の中に居る自分を僕はよろこべばよかったんだった。事実は完了していた。僕は感情だけで生きて行けたのだった。それを感謝する感情に埋もれて生きて行けるようにしてあったのだった。