<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

僕はちっとも恋をしない

2017年02月19日 10時04分44秒 | Weblog

僕はちっとも恋をしない。ちっとも。恋の無言列車に乗って旅しているのは、とっても可哀想。恋多きベートーヴェン氏はやたらどっさり麗しい乙女たちに恋をして、そのたびに美しいピアノ曲をわたしたちに残してくれた。恋をしない僕は何にも残せない、だから。二重の可哀想。成就しない哀しさも分からない。成就した嬉しさにも無縁だ。恋は魂の国の風景を豊かに飾る芸術家。僕は芸術家にもなれない。

じゃ、いまからでも恋をすればいいじゃないか、ふんだんに。そうだ、そういう結論が導き出せる。でもこの老爺だ。たといそこに絶世の美女がはなやかに踊りながら登壇してきたって、それがこの僕とどこに接点があるというのだ。美女は高慢だ。痩せ衰えた野良猫を見下ろす目つきに、僕はずっと耐えねばならないだけだろう。

僕はちっとも恋をしない。恋をしない男は日干しの魚だ。からからに乾いて、ぺしゃんこに長く延びて、硬い。生きている内にしか出来ない恋。死んでしまえばますますできないことになる恋。それでも僕は恋をしない。錆びだらけのトロッコ列車のように錆び付いた僕のトロッコはそこにそうして風化していくばかり。赤錆の僕はもはやどんな感情をも有していないのかもしれない。

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声を出さない音楽と出す音楽

2017年02月19日 09時49分20秒 | Weblog

声を出さない音楽というのもある。声を出す音楽というのもある。片方は魂の耳で聞き、もう片方は耳骨の耳で聴く。両者ともうっとりさせるのに長けている。声を出さない音楽は悠長な大空のような広がりがある。一方、声を出す音楽は滝壺のように落ちて轟いて深い。小川のところまで来た。遡って行くと山懐に吸いこまれてしまう。ちょよちょろ谷水が落ちている。山懐の静寂は声を出さない方の音楽の役割。谷水ちょろちょろは声を出す方の音楽の役割。ともかく音楽で溢れているところを生きているようだ。散歩中の僕はここでしばらく立ち止まる。

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タマネギ畑の草を抜いた 働いた

2017年02月19日 04時19分58秒 | Weblog

コンサートから帰宅。作業着に着替えてタマネギ畑に出た。タマネギはひどく肥料をもらいたがるので、その分草の勢いが凄まじい。青々としているタマネギを呑み込むようにしている。これを小さな鍬を使って丹念に抜いてやった。根が深く張っていた。夕方6時半になってようやく止めにした。もう薄暗くなって見えづらくなっていた。抜いた草が積まれて山を成した。夕風が吹き抜けて躰がすっかり冷えてしまった。ぶるっと震えた。ああ働いたという充足感が込み上げてきた。

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ピアノソナタ月光は僕の魂を海の太鼓にした

2017年02月19日 03時34分18秒 | Weblog

チェコ製の白いピアノに手をのばして、彼女はベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾き出した。僕は目を閉じた。僕の魂の海がすぐさま大きな波のうねりを立て始めた。僕はその変容を感じている。曲が動いていくにつれて波は深く沈み高く騰がる。僕は僕の魂の反応を、風景を眺めるようにして楽しんだ。彼女の指に神が宿っているようだった。神が音の調べを通してこの世の歓喜のさまをさまざまな言葉に換えて僕の魂に語り掛けて来た。鍵盤はやがて鳴り止んだ。僕は大きく息を飲んで元の僕に戻った。僕の耳のところで深く静かに魂が安らいでいた。ここは音楽を聴くことのできる小さな喫茶店である。客は30人ほどもいたかもしれない。ピアニストは、キリストが人々にパンを分かち与えたように、芸術というパンを分かち与えた。今しその偉業をなし終えたのに、すぐに優しい気さくな女性に戻って、普段の言葉で語り掛け、にっこり愛想を振りまきはじめた。音楽家は聴く人の魂を太鼓にして打ち鳴らすことができる人種である。偉大としかいいようがない。

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