僕はちっとも恋をしない。ちっとも。恋の無言列車に乗って旅しているのは、とっても可哀想。恋多きベートーヴェン氏はやたらどっさり麗しい乙女たちに恋をして、そのたびに美しいピアノ曲をわたしたちに残してくれた。恋をしない僕は何にも残せない、だから。二重の可哀想。成就しない哀しさも分からない。成就した嬉しさにも無縁だ。恋は魂の国の風景を豊かに飾る芸術家。僕は芸術家にもなれない。
じゃ、いまからでも恋をすればいいじゃないか、ふんだんに。そうだ、そういう結論が導き出せる。でもこの老爺だ。たといそこに絶世の美女がはなやかに踊りながら登壇してきたって、それがこの僕とどこに接点があるというのだ。美女は高慢だ。痩せ衰えた野良猫を見下ろす目つきに、僕はずっと耐えねばならないだけだろう。
僕はちっとも恋をしない。恋をしない男は日干しの魚だ。からからに乾いて、ぺしゃんこに長く延びて、硬い。生きている内にしか出来ない恋。死んでしまえばますますできないことになる恋。それでも僕は恋をしない。錆びだらけのトロッコ列車のように錆び付いた僕のトロッコはそこにそうして風化していくばかり。赤錆の僕はもはやどんな感情をも有していないのかもしれない。