<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

I love you のyouは

2017年10月01日 21時57分25秒 | Weblog

単数も複数も同形。1人を愛すると言うことは多数を愛すると言うことか。多数ではなくて単体のみを愛することは出来るのか。同時に成立しているべき事なのではあるまいか。多数を愛すると言うことが単数を愛する絶対条件なのではあるまいか。いや、違うというだろう。単体のあなた1人をわたしは愛していると白状するのが恋の常套告白形になっているけれど、1人しか愛せないというのなら、それは甚だお粗末なものかもしれない。低レベルなものかもしれない。二人称は単数複数の区切りがないものなのだ、本来的に。360度の広範囲を愛することの大前提の上に1度の領域が含められているのかもしれない。

ふっとそんな疑問に捕まってしまった。1人の愛は憎しみを生む土台でもある。多民族国家は1民族への愛でもっては持続不可能だ。自国のみを愛することは戦争を正義化することに等しい。

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パソコンが壊れました 後が続けません

2017年10月01日 16時44分27秒 | Weblog

パソコンが壊れちゃった。今日は我が集落の秋祭り「キバル祭」のシリーズ3と4は消去されてしまいました。残念。2で終了します。このパソコンはこの頃よく壊れます。修復不可能になってしまいます。僕はパソコンに詳しくありません。

 

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今日は集落の秋祭り「キバルサイ」 その2

2017年10月01日 16時31分30秒 | Weblog

集落で罠を掛けて捕獲した猪の肉が振る舞われた。猪汁、猪焼き肉などどれもおいしかった。集落の若者、壮年に雑じって学生たちも焼き蕎麦を焼いたり、牛肉鶏肉豚肉などの焼き肉料理を作ったりと協力を惜しまなかった。アジア諸国からの留学生が次々にスピーチをしたり古里の音楽を歌ってくれたりもした。障害者施設の方々も毎年参加をして下さっている。彼らの歌や踊りでとても賑わう。

ジュース、缶ビールが飲み放題にしてあった。集落の人たちと談笑しながら、僕も輪に入ってご馳走を食べ缶ビールを飲んだ。これで地域住民同士の、所謂仲間意識が蘇るのである。

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今日は集落の祭り「キバル祭」 その1

2017年10月01日 16時03分16秒 | Weblog

今日から10月。一つの区切り目である。夜明け方冷えたけれど、日が昇った10時くらいから気温が上昇した。汗を覚えた。そして午後には日が翳って曇り日になった。

公民館広場で我が集落のキバル祭りが開催された。2つの大学からたくさんの学生たちが参加をしてくれた。ボランテイアのサークル活動なんだろうか。グループで楽器演奏をしたり現代の若者ソングを歌ってくれたりした。いつもは老人中心の場なのに、これで場が若返って盛り上がった。どちらの大学も指導者が引率をしていた。大学の教室内で講義を受ける従来の学生の活動が変化して、こうして社会の中へ入っていく実践行動をする。これには重大な意味があると思う。これは立派な日本式地域文化である。

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空白と白い月がひんやりひっそりしている

2017年10月01日 09時25分02秒 | Weblog

わたしのいとしい人。そういう人がいるという想定。それであたたまる。他愛ない。今日から10月になった。途端に冷えた。空気がつうんと来る。朝方布団を二枚合わせ着した。冷えるのは空に冴える月のせいなのかもしれない。昨夜は半輪の白い月だった。わたしの愛(いと)しい人も月を仰いでいる。そうい想定をしてひとりを慰めた。人は人を愛しく思っていたいのだ。そういう思いを保って生きていることによろこびを感じたいものなのだ。それにしては空白だ。その座にその人がいない。よろこびも白い月のようにしている。想定の中の空白は、ひんやりひっそりしている。

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