生也全機現 死也全機現 しょうやぜんきげん しやぜんきげん 円悟禅師の碧巌録より
今夜はこの偈に安らぐこととする。
生もまた全機の発現にして、死もまた全機の発現なり。
こう読んでみた。「機」はハタラキ、機能。
わたしが生きているのは、わたしを生かそうとしている全てのハタラキがフル活動しているからであり、そこにわたしの生が完全出現している。死もまたそうだ。違いはない。わたしの死を全うさせるために全てのハタラキがフル活動しているからであり、そこにわたしの死が完全出現している。生も死もそれぞれ独立自尊してパーフェクトだ。パーフェクトであるからには、恐れるものではない。生を生ききっていれば、死を死にきることが可能となる。生が明で、死が暗ではない。二つとも明である。片方を否定するには及ばないのである。