<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

なあんだ、それだけのことだったのか

2017年10月22日 19時38分06秒 | Weblog

夕食時。芋焼酎を飲んだ。お湯割りで。飲みたいだけ。ああ、いい気持ち。旨い肴はなし。酔った。潰れた。寂しさが潰れた。これでよし。不快を快にした。潰したらよかったんだ。なあんだ、それだけのことだったのか。口も息も芋焼酎の臭いでぷんぷんする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何処へ行こうと独りなのだが

2017年10月22日 13時51分24秒 | Weblog

小雨そぼ降る中、ぶらり旅に出た。何処へ行ってみようか。遠いところへ行きたい。何処へ行こうと独りなのだが。空が暗い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の寂しさの山は活火山で微かな火を噴いている

2017年10月22日 10時31分50秒 | Weblog

この寂しさは何処から来るのだろう。僕の寂しさの山は活火山で、微かな火を噴いている。薄い煙がもくもくと噴き上がって大空を流れている。大地が暗い。僕は暗い小径で杖を頼りに歩く。寂しいということが。この実感こそが生きているという実感なのか。とまれ、僕の魂は、大きい腹でもないくせに、寂しさばかりを胃袋に納めて、膨らんでいる。肉体の快楽で埋め合わせをする方法はないか。ありそうな気がする。ないような気もする。

さみしさの山といふ山火を噴いて薄き煙の薄くさまよふ      薬王華蔵

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏の単独の快楽はあり得ないのか ラスト

2017年10月22日 10時24分43秒 | Weblog

肉体がそうした欠陥を持っているのは欠陥を持っていいからである。それでちょうど帳尻が合って採算が立つように造られているからである。

それがそうあることで、魂氏が深い快楽へ進んでいけるからである。魂氏に優位性を具有させてみる。そんなふうに楽観論の結論を最終ランナーにしてこのマラソン稿を閉じよう。

あれこれの疑問をぶつけてみた。明解はない。仏陀に問い合わせたら正解が得られるかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏の単独の快楽はあり得ないのか その7

2017年10月22日 10時22分01秒 | Weblog

生きて肉体を捨てるという方法はないか。肉体の快楽を経由しないで魂単独で安寧を得ることはできないか。魂に視覚聴覚嗅覚舌覚触覚思想覚という快楽感覚器官をこしらえれば可能になるだろう。肉体は老いるという欠陥を持つ。病むという欠陥を持つ。死ぬという欠陥を持つ。

魂氏はどうか。欠陥を持たない存在なのか。特技秘法を温存しているのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏の単独の快楽はあり得ないのか その6

2017年10月22日 10時20分41秒 | Weblog

死ねば肉体を捨てることになる。肉体は燃やされて灰になる。諸元素に戻ってしまう。肉体を連れたまま精神界の仏界には趣くことが出来ない。そこではたと困り果ててしまうのか。迷ってしまうのか。精神界の王者魂氏は独立を宣言できないのか。独立した後で、魂氏単独の快楽を深める図はイマジネーションに過ぎないのだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏単独の快楽はあり得ないのか その5

2017年10月22日 10時18分23秒 | Weblog

そこを超脱する方法が宗教なのではないか。肉体がすべての権限を持っているとすると我あれは物質界を住処とするしかない。物質界の快楽を至上の快楽とするしかない。精神界の快楽は、あったとしても物質界のそれに隷属しているのか。優位性は常に肉体が保持しているのか。さまざまな疑問が湧く。

両者は運命共同体であって、分かちがたいのか。分けられないとすると同時の死を迎えるのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏単独の快楽はあり得ないのか その4

2017年10月22日 10時16分07秒 | Weblog

魂単独の快楽というのはあり得ないのか。快楽を認知しているのはあくまでも肉体の中の脳なのか。感覚器官、視覚聴覚嗅覚舌覚触覚は肉体にしか設置されていないのか。魂氏の快楽をも主宰しているのは肉体氏なのか。肉体を離れた魂氏は蛻(もぬけ)の空になってしまうのか。だとすれば肉体氏は絶対の権限を持っていることになる。威張っていていい。

威張らせているのは魂氏かもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏単独の快楽はあり得ないのか その3

2017年10月22日 10時14分14秒 | Weblog

肉体単独での快楽というのはあり得ないのか。肉体が快楽を味わっているように見せておきながら、実際は魂がにやりとしているだけなのか。魂氏は、ほんとうのところどうだろう、肉体を快楽させる以外の方法を持たないのか。肉体の快楽でもって己の快楽としているだけなのか。

魂は肉体の付属品なのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂氏単独の快楽はあり得ないのか その2

2017年10月22日 10時12分00秒 | Weblog

肉体という物質体はあくまで魂の容れ物、容器なのか。それとも独立しているのか。魂を無視した肉体というのも存在しうるのか。存在してはいないかもしれない。運転手のいないバスのようなものかもしれない。そういうバスは納車倉庫には眠っているが活動はしていない。魂が運転席に乗ってきてスイッチを入れる。と肉体が動き出す。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする