お昼寝は出来なかった。お昼寝なんてしないならしないでいいこと。損をした気分にはならない。「老子」のワンチャプターを読んでいた。ほんの少しの間。虫が小さな虫の歯で囓るくらい囓って、満ちた。若い頃に老子の思想に惹かれた。なんでも怠け癖の強い己は、しかし、これもいつのまにか手放してしまっていた。でもって、なんにもものになっていない。興味を起こしてもそれを刷毛で撫でるくらいで、飽きが来る。嫌な性格だ。そしてちょこちょこ帰って来たがる。古里を見るように見たがる。滑稽千万である。
お昼寝は出来なかった。お昼寝なんてしないならしないでいいこと。損をした気分にはならない。「老子」のワンチャプターを読んでいた。ほんの少しの間。虫が小さな虫の歯で囓るくらい囓って、満ちた。若い頃に老子の思想に惹かれた。なんでも怠け癖の強い己は、しかし、これもいつのまにか手放してしまっていた。でもって、なんにもものになっていない。興味を起こしてもそれを刷毛で撫でるくらいで、飽きが来る。嫌な性格だ。そしてちょこちょこ帰って来たがる。古里を見るように見たがる。滑稽千万である。
「大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若(ごと)きも、其の用は窮まらず」 「老子 第45章」より
ほんとうに満ちている場合、その大盈(大いなる充実)はひたすら空虚のようにも見えるが、その大盈に潜む空虚の働きは窮まることがない。
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「盈」は内に満ちているさま。「沖」は空にして虚のさま。「用」は内から外に働き出るハタラキのさま。
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宇宙空間がこうだ。満ちていて虚である。虚であるが、虚が盛んにハタラキ出ている。
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宇宙空間がそうであるから、わたしもまた自ずからにして大盈しているはずである。それ以上を必要としていないでいい。まして右往左往することなど。沖のまま、わたしの内から外に働き出しているハタラキを楽しんでいればいいのである。小賢しく振る舞まわないですんでいるはずであった。
欲に限りなし、金貨の雨を以てしても、人の欲望は満たされることはなし。 「法句経ダンマパダ」より
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欲しいものがある。あるときそれが叶えられる。それで収まるかというと、しかし、そうはならない。いよいよ欲望に火が点く。かっと燃え上がる。「それよりもっと」が始まる。「もっともっと」となる。欲しい物の輪の直径が広がる。そこからが苦難の連続となる。
金貨の雨が降ってくることはないかも知れない。降って来たとしても、それでも欲の際限は終わりにならない。一度でも叶えられたら油に火を注ぐ。
欲望というのは金貨の値打ちを持つ。輝いている。輝かしても来る。それでやにむに輝こうとする。そして焼け残った黒焦げの残骸だけが残る。最後がなんとも惨めだ。
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愚かなるかな。だが、これがわたしの現実である。それで火傷をしても同じだ。それで倍の倍の損害を蒙ったとしても、懲りない。元を取り戻そうとしてあがく。苦しむ。
欲望依存症。この依存症から抜け出さねばならない。老いても老いても、これだ。ここから先に行かない。
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もっと生きていたいと思う。死なないでいたいと思う。いつまでも元気にしていたいと思う。老いることが無いようにと思う。病むことがないようにと思う。72年、欲望を満たされていてもこうだ。もういいということにならない。俎の鯉にならない。
人生の無常に従順であらねばならないのだが、従順にならない。だから、強制的に従順にさせられることになる。愚かな人生が、ここでやっと終結する。
天気予報では夕方から雨になるといっているけど、今現在は晴れている。日射しがある。
外に出ていけば暑そう。少し日が翳って来たときに、のそりと出ていこうかな。じゃ、それまでは昼寝だ。
うすのろ自由人の暮らしとはいいものだ。命令がない。義務がない。無拘束だ。やりたいときにやりたいことをすればいい。やりたくないことはやらないですましていい。
その代わりどんな報酬も当てにはできない。それもそれでいい。回りの評価もない。これもこれがいい。評価の必要もない。
プランターに種を蒔いて育てていた高菜の苗が移植できるまでに大きくなってきた。これを畑に植え付ける。畝を作って。施肥をして。
少し過密にしていてもいい。途中途中間引きをするから。高菜は移植に強い。日照りで枯れるということもない。