昨日の旅籠の夕食に浅蜊の剥き身と大根の合わせ煮込み料理が出されていた。ほどよい甘さ辛さだった。醤油がほどよく染みていた。焼酎が進んだ。一皿では足りなかった。田舎料理はおっかあの味。おっかあを懐かしんだ。メインは鮎の塩焼きだった。
今夜はお鍋だった。我が家の畑の白菜が具材になっていた。間引き菜だから、まだ不完全だけど。でもその分柔らかだった。芋焼酎を55に割って飲んだ。陶器の深い椀で。温まった。そのまま風呂も入らずに、炬燵へ入って寝てしまっていた。焼酎を飲んだら、ご飯は食べられない。目覚めたら腹が減っている。
庭の石蕗がゴールドラッシュだ。あちらの石蕗もこちらの石蕗も。わたしを黄金にしようとする。黄金に荘厳しようとする。わたしはそこへ王になって荘厳される。豊かだ。わたしは豊かだ。深くなった秋の薫りが、わたしに薫る。
畑のは無花果が木になりながらジャムになっていた。もいで食べた。小さいのを二個。二個とも甘くてとろりした。酸っぱくはなっていなかった。大儲けをした気分になった。秋がこんなに深まっているというのに。狙い定めていたカラスが、人間に先を越されたと知ったら、さぞかし臍を噛むだろう。
ま、そういうこともあるさ。ね。禿げ頭から出血。額と頭との境目。目じゃなくてよかった。ひりひりする。松の木の下の草取りをしていて、飛び出していた松の枝にごっつん。ひいいいいっ! 昨日の昼間の出来事なのに、まだ尾を引いている。赤い血。ほう。わたしの内には間違いなく赤い血が流れていた。
とうとうわたしの掛け布団が羽根布団の冬布団になった。ふかふかする。今夜すぐにもふかふかの深い眠りがもたらせられるようで、わくわくする。
わたしを最高に導く最高の出来事がいまわたしに起こっている。心配するんじゃないよ。わたしはここを経由する。ここを経由するとわたしに目覚めが与えられるだろう。
両手で水が掬える! 両手を合わせるとお椀になる! お椀からごっくんと水を飲んだ。水は零れて行かなかった。神さまと神さまの智恵とわたしの幸運を合わせてそこに見るように、妙にしみじみ感動しちゃった。そんなこといまさらとも思うが、何十年と両手といっしょに暮らしてきながら、気付かずにいたのだった
うふふふふふ。わはははは。けへへへへ。とにかく笑っちゃお。おほほほ、いひひひ。
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笑った方が勝ち。誰に勝つということはないのだけど。強いていえば、己に。己のぶつくさの、煩悶の、しまりのない過去の残像に。
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最初の笑いかけの段階ではちょおと馴染めない感じもするけれど、そのうち違和感がなくなる。
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超えて出れば、なんてことはないのだ。超出すれば、次へ進めるのだ。好きこのんだ、同じ処を回り回っていることはないのだ。
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笑ってしまえば、けりがつく。理論にはよらない。勘定計算ではない。拘泥を抜けたら拘泥ではなくなっている。
暗くなるまで畑仕事をした。といっても2時間ほどだけど。「赤い高菜」という珍しい種を買ってきたので、これを畑に蒔いた。畑の草を取って、施肥して耕してから。種1袋150円だった。種がたくさん入っていた。だからほんのちょっとだけ蒔いた。これだけをするのにこれだけの時間が掛かった。のろまだ。お風呂用丸椅子に乗ってこれをちょこちょこ動かしながら、だから。