弟よ。呼び掛けたら、聞こえているかもしれない。どんな領域でも兄より遙かに優秀で誠実だったお前が先に死んでしまった。うすっぺらの兄者が、弟を失って、なおなお薄っぺらに生きている。なんだか済まない。謝らねばならぬ。そういう気持ちがひょいひょい浮かび上がる。弟とは4つ違いだ。水泳の選手でもあった。シェイクスピアの作品を言語のまま読みこなせた。退職後に大学を行き直して僧侶になった。だが、数々の病を抱えていた。入退院を何度も繰り返した。苦しかっただろう。死んでもう3年になる。
双六で喩えれば、死は謂わば「上がり」だ。到達点をクリヤーしたってことだ。もしそうだとすれば、弟の奴、「兄貴、お先に。悪いな。オレもうゴールに着いちゃったよ」なんて照れているかもしれない。そして早々もう次の求道の旅に出発をしてしまったかもしれない。そうやって弟に笑い顔を作らせてみる。そして仏壇の遺影の弟を呼ぶ。名前を呼ぶ。「おい、これから温泉に行くぞ。ついてくるか」と呼び掛けて左手を差し出す。そして肩を組んで出掛ける。