このブログのタイトルは「おでいげにおいでおいで」です。「おいでおいで」は誘いかけの言葉です。「おでいげ」は、耳慣れない言葉かもしれません。漢字に直すと「淤泥華」となります。
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「淤泥」は「どろちゃあぼうちゃ」「どろんこ」「汚れた泥土」のことです。「華」は花。だから淤泥に根を下ろしている花、つまり蓮、ロータス、白蓮華のことを言います。サンスクリット語ではプンダーリーカーだそうです。
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泥に根を下ろして泥に染まらず清らかに咲き出す蓮の花は仏教の教えを象徴しています。浄土は仏国土で仏さまが住んでおられるところですが、わたしたち凡夫が住んでいるところは穢土(えど)と言われます。
煩悩、我執、悪心、悪口、悪行、罪過、罪穢(けが)れによって汚濁された国土を指しています。しかし、そこがわたしたちが立つところです。ここがわたしたちの道場です。鉱石磨きの場です。ここには仏教の教えという清らかな教えの華が咲いています。
この教えがあればわたしたちは淤泥に染まらずにすむのです。そういう道があるというのです。わたしはそれを聞いて嬉しくなりました。まだ若い30代頃のことです。
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そこで生意気にも、土曜日の午後に「淤泥華会」という参加自由な会を立ち上げました。もちろん許可を得て。場所は畳敷きの広い作法室です。軽めのお話し会です。土曜の午後ですから、短い時間です。ちょっとした先生と生徒の交流の場です。
日頃生徒と接していて、「ああ彼らもまた悩み苦しんでいるなあ」「どうしていいかは分からないが、こころの負担を軽くしてあげたいなあ」と思っていました。
わたしの勤めていた学校は私立学校です。人間教育を柱に据えています。しかし、特に固定の宗教色はありませんでした。3ケ年、週に1時間「礼法」という授業がありました。日本文化の中心である礼儀作法を重んじていました。
校舎のあちこちに「和顔愛語」の額が掲げられていました。「なごやかな顔につとめて愛情のある言葉を交わそう」というような趣旨だと思います。浄土教経典の「無量寿経」にこの言葉があるのだそうです。
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わたしは退職すべき年齢よりも早めにこの学校を退職しました。病気になってしまったからです。病気になってもしばらくは仕事を続けていましたが、やはり周りに迷惑が及びます。それで退職を決断しました。
退職後何年かしてから、ふっとこの「おでいげ」のことを思い出しました。これをブログのタイトルに含めました。
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わたしがここで書いているのは「淤泥」そのものですけど。それよりないのです。出も大丈夫。この穢土に仏の教えがあります。淤泥に淤泥華を咲かせようというお慈悲があります。
「淤泥があっての淤泥華」「わたしという淤泥があったからこそ、淤泥華の仏の教えが輝き出す」などとわたしは開き直っていますが、この態度はきっと傲慢に過ぎているでしょう。