もう一首、我が日本国の古歌に親しみたい。西暦5世紀頃の歌だが、現代に取り上げても哀切である。
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我が夫子(せこ)が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行い今宵著(しる)しも 衣透郎姫(そとおりのいらつめ) 日本書紀
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「ささがね」は「笹ケ根」。笹の根元に巣を張るところから、蜘蛛に掛かる枕詞とも取れる。
作者衣透姫は応神天皇の孫に当たる。容姿があまりにも美しく絶妙で衣を透かして輝き渡ったという。妻ある允恭天皇に寵愛されたが、悲恋に終わったようだ。後世、紀伊国和歌浦、玉津島神社に神功皇后とともに祀られた。
蜘蛛は「喜母」とも書く。吉兆を運んで来たという。蜘蛛が衣に匍うと親しい人が来訪するという言い習わしがあったようだ。中国古代の俗信である。
我が夫子(せこ)は我が思う人。姫は、允恭天皇が姫宮とするところに渡って来ることを予知して、歌にした。きっとそうだと思ってこころが逸(はや)ったのである。なぜそうと言えるか。蜘蛛が姫の来ている衣に来て、その吉兆を報せたからである。
今宵こそは天皇がわたしに逢いに来て下さるだろう、断定していい。ごらんなさい、蜘蛛がわたしの衣に匍って、それを知らせてくれている。彼女のこころは蜘蛛の動きと同じようにいそいそとなった。
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歌は切ない。恋の歌は切ない。切なさを煽る。老爺がこれを読んでもこの通り、華やいでくる。いかなる世であろうとも、人と人は愛情を滾らせておくべきである。朝も昼も夜も、冷え切った夜空のようではつまらない。
行く機会があったら紀伊国、和歌浦の玉津島神社の赤い鳥居を潜ってみたいものだ。11月になって思い切って尋ねてみようか。