<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

寂しい 旅に出ても寂しい

2017年10月04日 19時54分35秒 | Weblog

お前の寂しさになんか付き合えるか。名月が言う。まさしく盆のような月、でかでかしい月。朧月。白い寒い月。付き合ってもらったところで、どうにもならない。己の寂しさは己で解決するしかない。焼酎お湯割りに加勢を頼んだが、どうにもならない。寂しさは深まるばかり。なんだろうこの物体は。物体じゃないのか。架空なのか。バーチャルなのか。気体なのか。中和剤は何もないのか。

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いつもの如く一人旅に

2017年10月04日 17時06分43秒 | Weblog

いつもの如く一人旅に出た。3時間かけて走り、久住高原に来ている。ここの温泉は硫黄臭がする。湯から上がってきても臭いがとれない。皮膚に染みこんでいる。そりゃそうだろう、ぬる湯の露天風呂に一時間ほども浸かってたからなあ。久住の山々を背景にして、秋空に雲が流れて行くのを仰いで見てた。三階の6畳の部屋は狭く感じる。ゆったりゆっくりするには不向きかな。ちょっと不満。窓から雄大な景観が眺められる。来る途中、立ち寄った道の駅のトイレに可愛いミゾソバの花が生けてあった。コップの中に小さく。この頃ついぞ見かけなかった。季節の潤いを感じて、はっとした。葡萄を二房買ってきた。寂しさをこれで中和できればいいのだが。二晩はこれで大丈夫と踏んだが、これはあくまで予測。どうなることやら。とまれ漂泊の思い止まず。

夕食は6時半。体が冷えた。山の空気は澄でいて寒い。もう一度湯を浴びて来るか。

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もう小葱を摘んでもいいなあ

2017年10月04日 07時31分22秒 | Weblog

やややや。もう小葱を摘んでもいいぞ。朝の味噌汁に、刻んで浮かばせたら、青々として来るぞ。元気がもらえるぞ。地上20cmくらいは伸びたな。十分だな。それにしても、一個の球根からよくまあこれだけの茎を伸ばしたなあ。茎の数は10~20もありそうだ。植物というのは逞しいなあ。おっそろしく逞しいなあ。さぶろうのように日に何度も弱音を吐いて、さもしく弱々しくはしてないなあ。

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72番目の駅に僕の人生の汽車が止まっている

2017年10月04日 03時07分25秒 | Weblog

真夜中である。虫の声が聞こえる。72番目の駅に僕の人生の汽車が止まっている。この汽車は1年に1駅進む。もうずいぶんな距離を走って来た。僕の人生の汽車は石炭を焚いて走るから、煙を上げる。水蒸気も上げる。先頭にでっかい機関車がついている。大きなピストンがぐるぐる回る。その割には客車は1両しかついていない。乗ってくる乗客がいないから、1両で十分なのだ。乗客の代わりに紡いだ言葉の織物巻物が乗せてある。毎日紡いでいるから織物巻物は増えて行くばかりだが、古いのは自動消滅している。だからやはり1両で十分なのだ。過去の記憶が乗ってくることもある。今夜はMさんが顔を見せた。記憶の中の顔である。たしかお隣の長崎県佐世保市のお住まいだった。お世話になった。正義感のすこぶる溢れた方だった。美しい奥さんと美しい数人のお嬢さんがおられた。仲のよいご家族であった。会わなくなって久しい。このテイタラクな拙い暮らしをしていると、引き籠もりが進んで人様にお会いできないのだ。72番目の駅に辿り着くまでに、しかし、いったいどれだけの人に会って、どれだけ多くの善意を頂いて来たのだろう。その善意に答えられなかったことがいつも悔やまれてならないので、引き籠もりの穴は深くなるばかりなのだ。恥ずかしい恥ずかしいの日暮らしなのだ。その恥ずかしい僕の家に白い萩の花が零れている。似つかわしくないけれど、美しい萩の花が零れている。昨日はこの庭の一角の草取りを実行した。

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