飛行機に乗らなくて大空を旋回できたらいいだろうな。
透明の翼をつけて。透明の大きな鳥になって。広い空、高い空を好きなところまで飛んで行って。
緑の野原を越え、白雪の山脈を跨ぎ、愉快に飛んでいるところを、夢でよく見る。
死んだらこれが実現するだろうなどとも思う。重たい肉体を離れて軽く軽くなっていけば、大空も飛べられそうな気がして来る。
飛行機に乗らなくて大空を旋回できたらいいだろうな。
透明の翼をつけて。透明の大きな鳥になって。広い空、高い空を好きなところまで飛んで行って。
緑の野原を越え、白雪の山脈を跨ぎ、愉快に飛んでいるところを、夢でよく見る。
死んだらこれが実現するだろうなどとも思う。重たい肉体を離れて軽く軽くなっていけば、大空も飛べられそうな気がして来る。
2022年5月18日水曜日。夜が明けて朝になっている。大空も大地が洗顔をして来たらしくて、爽やかないい顔をしている。風と山がおもいっきり晴れている。光が延び延び伸び上がっている。
おいらは、ここでおいらをしている。そうしていることができる。
それで、どうということもない。そこがまたいい。
入場料も所場代も観覧料も、特別税も、いっさい払わなくていい。
ゆっくりしたいだけ、ゆっくりしてていい。くつろいでいていい。
今日は日中は気温が高くなるらしい。夜明け前は冷え込んだ。寒暖の差が大きいようだ。
そうだ、今日はサイクリングとしゃれ込もう。揚げ雲雀の鳴き交わす黄金の麦畑の中を走ってみよう。サイコー!サイコー!生きているってサイコー!を何度も叫んでみよう。
形があって重たい肉体があると、おのずとそれだけ制限が効くことになる。
やりたいことが何でもできるようにはならない。
いちいち重たい肉体を輸送搬送しなければならないからだ。
で、たいがいは諦めが付く。そういう仕組みだ。
だが、死んで、肉体を持たないでいいようになると、それまでの制限が緩んでしまうことになる。
あれもこれもしたくなって来る。これまで制限されていたものが、軒並み解放される。と、たちまち欲望肥大になってしまう。これは困る。落ち着かなくなるからだ。
だったら、やはり肉体車両を運転していた頃がベターということになる。
死後、一挙に欲望が肥大化しないでいいような仕組みが施されているに決まっている。
それは何だろう?
肉体を保持していたころの欲望はほほ100%、肉体を快感にする満足だったが、死後はそれが解消されている。つまり肉体を満足させないでもいいようになったのだ。
それに代わって登場して来たのはこころの満足だ。魂の満足だ。こころを喜ばせようとする働き、魂を喜ばせようとする働きは、これまでにあまり使用してこなかった働きである。
ブレーキを掛けなくてもいい働きである。こころが喜んでくるとどんどん明るくなってくる。どんどん朗らかになって来る。光が内側より発射されて来る。輝きが増して来る。
・・・そんな具合になっていないかなあ! 死後の妄想をしてみる。
かすみ草まで喰わなくていいだろうに!
虫が、かすみ草の薄い薄い葉っぱまでも食い尽くしている。
白い花だけがほっそりした茎のとっぺん先に咲いて風に揺れている。
虫たちは、食欲が旺盛。それだけ腹が減っているのだろう。
チョウチョウが番(つがい)になって、卵を産み付けようと飛び回っている。
肉体を離れても、空が見えるんだろうか? 見えなくなるような気もするけど、見えるような気もする。
肉体を離れるの「離れる」の主語は何だろうね。何が肉体を「離れる」のだろう?
「主人公」だろうかね。生命体の運転者のような。
彼は案外賢明で、進化していて、「見える」ようにしていてくれているはずだ。・・・などとも思う。
それで今日が死後1日目だとする。そおっと目を開ける。すると生きていた昨日とまったく同じように大空が見える。夏の青空だ。
雲一つない。ずっとずっと向こうの方にまで広がっている。澄み渡っている。雲雀の声までが聞こえて来る。耳の機能も消失してはいない。
見えたのだ。嬉しい。もしかしたら見えなくなっているかもしれないと思っていた。その不安が除去される。雲雀を耳にした。その耳が残っている。
なあんだ、これだったら、どうってことはなかったのだ。死んでも死ななくてもどっちでもよかったんだ。と思う。
見ているのは内なる主体者の目である。聞いているのは、やはり内なる主宰者の耳である。どちらも、しかし、その形骸はない。やはりない。肉体も透明になっていてやはり無形である。
こころだけになっているので、移動が簡単にできる。瞬間移動をすることができるようになっている。
肉体という物質界車両はガソリンが必要だったが、こころは非物質界にいるから車両が無用になっている。当然、ガソリンも食わないで済む。意志すればいいだけだ。
死後一日目、大空が見えている。空の片隅には夏の入道雲が白く立ち上がっている。南風が吹いて、収穫間近の麦が、太陽に焦げて、薫っている。