あれこれをブログに書きました。1つのブログを、だいたい10人ほどが読んで下さっているようです、記録によれば。有り難うございます。
もうすぐ夕食の時間になります。パソコンを閉じます。
今夜はオクラを使った料理です。オクラは我が家の畑で収穫しました。やわらかくてとろとろしておいしいです。
あれこれをブログに書きました。1つのブログを、だいたい10人ほどが読んで下さっているようです、記録によれば。有り難うございます。
もうすぐ夕食の時間になります。パソコンを閉じます。
今夜はオクラを使った料理です。オクラは我が家の畑で収穫しました。やわらかくてとろとろしておいしいです。
僕を構成する構成要素は莫大です。莫大多数です。一つや二つくらいではありません。構成要素を増やせば増やすだけ僕は、それだけ大きくなります。減らせば小さくもなります。
小さくも大きくも出来ます。
「何処までが僕か」は自由になっています。好きにしていいことになっています。だから大きくなりたいときには、僕は大きくなります。小さくそっとしておきたいときには、僕は小さくなります。固定されていません。
変化を好みます。死んだり生きたりもします。そうしたいときにはそうしますが、それは一時の現象に過ぎません。構成要素の一つを死んだくらいでは、わたしの全体は死にません。一つ二つが死んでも大丈夫です。また新しく誕生します。百千万の構成要素がすぐに誕生をします。自由自在なんです。
今日は雨の一日だったので、畑に出て畑仕事をしていません。汗を掻いていません。「オレハ・ハタライタ・ゾ」「ゾゾゾ・ウシシシ」がありません。晩酌の冷えた缶ビール1缶がおいしくないかもしれません。
此処は僕のいるところ。此処は僕の遊ぶところ。自由自在にしていいところ、此処は僕が、僕をしている間中、ずっと楽しんでいていいところ。なんでも楽しみにできるところ。よろこんでよろこんでよろこんでいていいいところ。
此処はわたしの宇宙。わたしの地球。わたしの宇宙にしていいいところ。わたしの地球にしていていいところ。全権限を与えられているところ。それだけ僕を尊くされているところ。それだけ僕を偉大にされているところ。
それだけ尊重されて、此処にいて、上等に上等にされているって、なんだかくすぐったいよ。
空が空をしているので、わたしが空を空にすることはない。ああ、よかったと思う。
で、僕は、空をしている空をゆっくり眺めている。
空をしている空をゆっくり眺めている僕は、単純なんだろう、とてもとても安らいでいる。
安らいでいる僕は,いい顔といい目をしている。
僕のいい顔といい目に見られている空が、落ち着いた空をしてどんどん高くなって行く。
僕が有り難う有り難うを言うと、鏡に映っている僕がニコニコして有り難う有り難うを返して来る。鏡に映っている僕は、たぶん僕の内なる大空に住んでいる内神さまだろう。
二人がありがとうのニコニコテニスをしている。ゆっくりゆっくり。テニスコートは夕焼けに赤く染まっている。
苗で買って来た白菜苗が、畑に移植されて,毎日毎朝ずんずんずんずん勢いをつけて成長している。
成長している葉っぱの青さがあざやかだ。
成長を遂げて行くのが嬉しいんだろうなあ。
*
畑に出て行く。小雨が降っているのに、畑に出て行く。歩き回る。
嬉しがっている白菜苗を見てると嬉しくなる。
見ているだけで嬉しくなる。
*
白菜苗を畑に植えて一週間が経った。白菜苗を畑に植えてよかったなあの一週間になった。
成長のずんずんずんずんはいいなあ。
見ているだけで、元気がもらえるなあ。
いいこと尽くしじゃないか。頭上には秋の大空がある。
いいこと尽くしじゃないか。大空には涼しい風が吹いている。
いいこと尽くしじゃないか。風を受けて白い雲が流れている。
いいこと尽くしにしてもらっているじゃないか。
いいこと尽くしじゃないか。足下には大地が広がっている。
いいこと尽くしじゃないか。大地には谷川の水が流れている。
いいこと尽くしじゃないか。谷川の水の中には魚が棲んでいる。
いいこと尽くしにしてもらっているじゃないか。
いいこと尽くしにして生きていていいということなんじゃないか、これは。
いいこと尽くしにして、おれが今日を生きていてそれでもう十分ということなんじゃないか。
一日が終わる。日が沈む。
いいこと尽くめにして一日が終わる。
いいこと尽くめにして日が沈む。
息を吸ってやすらい、息を吐いてやすらう。
これだけじゃ、ダメなのか。
*
ダメじゃないのに、ダメだと限定してかかる。
*
やすらいを、堕落だと考えてしまう。
*
息を吸うのは,プラスになる何かをするためだ、息を吐くのは、もっとよい向上に足を乗せるためだ、などと己をせっつく。
*
常に次がなくてはならない。
*
いまを充足してやすらうことが、否定される。
*
否定すると、いつも不安でいなければならない。やすらいがない。
*
生まれて生きている間を、ずっと不安の不安定で過ごしてしまうことになる。
*
もったいない。
*
なぜ、「ありがとうございます」「いまを感謝しています」「安らいでいます」、これだけではダメなのか。「いまを安らいで生きています、ありがとうございます」だけではダメなのか。
*
なぜ、「現在のただいま」を、「次の未来」のために役立てよう役立てようともがき苦しまねばならないのか。
*
息をしているだけで安らいでいてはならないのか。息を吐いているだけで安らいでいてはならないのか。
*
あれこれ考えてしまう。
*
酔芙蓉の花が、夕暮が来て、充足のピンクに染まっている。うっとりうっとりしているように見える。
ありがとうございます、だけでいいのに。
願い事ばかりする。
*
現状否定すると、願い事をしたくなる。
現状だけで自己肯定できたら、ありがとうございます、だけで済んでいるはずだ。
*
タリナイタリナイと思う。これじゃ足りないと思う。
すると、モットモットになる。モットモットが無限に続く。
*
これじゃ、進歩が得られていないと勘定する。
せっかく人間として生まれて来たのだから、それだけの条件を満たしていなければならない、と判断すると、それが己を走らせることになる。
*
人間に生まれて来たに、何不足! 不足を言うな!
不足を言うと永遠に、人間誕生の安らぎに届けない。