気温が下がって爽やかである。ふらりとドライブをして楽しんで来た。霧雨が降っていた。雨に煙る山々を見た。田圃はもうずいぶんと稲刈りが進んでいた。畦道には赤い彼岸花、白い彼岸花が列をなして咲いていた。往復1時間ほどで帰宅した。誰にも会わなかった。我が家の庭には、冬鳥のヒヨドリが来て鳴いていた。
究極、わたしを受け入れて、わたしを嬉しくさせてあげられるのはわたしだから、そう思って、わたしはいまのわたしを嬉しくさせてあげようとしている。
そして嬉しくしているわたしを眺めてしばらくほっとしている。
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わたしをどう扱ってもいい。どう扱ってもいいのだった。わたしはわたしをこれまでにどう扱って来たのだろう。過酷に残酷に扱って来た日が多かったように思って、ふっと束の間、反省をする。
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わたしは老いた。耄碌するまでに老いた。もういいだろう。痛めつけないでもいいだろう。だらしなさを懲らしめないでもいいだろう。蹂躙しないでもいいだろう。手を貸してそっと助け起こしてやってもいいだろう。
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秋が来て柿の葉が色づいて来た。落葉して道の上に転がって、風に吹かれているところを、拾って来た。寒い冬が来る前に、柿紅葉が美しくなった。
ABCDEFG・・・・・いろんなことがあった。我が過去をふっと振り返る。
そのどれもがあって、わたしの現在が集積形成されている。
現在のわたしを形成するには、その過去のどれもが必要であった。欠けてはならないものだった。
だからその過去のどれもが、わが宝物にしていいものばかりであるが、あまりそうとも映っていない。どうしたことだろう?
苦しい体験が多く混在しているからだろうか。悲しい体験が散らばっているからだろうか。
しかし、紛れもなくそれが現在のわたしに至る道筋であったことは間違いがない。
あれもこれも過ぎ去った。過ぎ去った出来事を、丘の上に立って遠望する。
嬉しい出来事、悲しい出来事、そのどれもが過ぎ去ってしまった。
若い頃の出来事、成年になってからの出来事、老いてからの出来事が小島を作って海に浮かんでいる。
夜になるとその出来事の島々に、点々と、遠く微かに灯りがついている。
その出来事の繋がりの島々の先に、連結の最後の現在が野原を為して棲んでいる。野原にはススキが風に靡いている。
家内に頼まれて、臭い古高菜漬けを包丁で微塵切りにしました。面倒そうな切り役はいつもわたしが引き受けます。嫌がらないからでしょう。なぜ嫌がらないか、わたしにもフシギです。
でも、切ったら臭い臭いが手指に染みつきます。石鹸で何回も洗い流します。
古高菜漬けは油炒めしてもらいます。炊き立てのご飯に載せて食べるとおいしいです。
ゆったりとしていよう。ゆっくりゆっくりしていよう。これでいい。
秋の一日をゆったりしていよう。ゆっくりゆっくりしていよう。
空気がおいしい秋の一日は、ゆったりゆっくりするのに、ふさわしい。
昨日は終日小雨。畑に出て行けなかった。
今朝は晴れて、青い空が覗いている。
これなら畑に出て行けそうだ。
畑に出て行けば,お爺さんの気分はハイになる。
畑に出て行けば、するべき仕事が次々に見つかる。
午前7時50分の気温は21℃。爽やかだ。
鼻に吸う朝の空気がおいしい。深呼吸をしてみる。
ピピピ、ピピピと小鳥たちが、近くに来て鳴いている。