<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

畑がよろこんでくれることをしよう。

2024年10月30日 18時32分40秒 | Weblog

夕方、裏の畑に出た。暗くなって手先が見えなくなるまで、スコップで畑を耕し、土をやわらかくし、それから畝を盛り上げた。

よぼよぼのお爺さんにしては、よく働いた。たかだか、ほんの数時間ほど,椅子に座った姿勢で、畑仕事をしたくらいなんだけど、満足できた。

気温が低くて、汗はそれほど掻かなかった。でも、全身がぽかぽかした。家の中に戻って、風呂に直行した。いい湯を浴びた。

明日、もし雨が降らなければ、盛り上げた畝に秋野菜の種蒔きをしよう。畑を有効に活用してあげると、畑がよろこんでくれる。

 

 

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家の中に居るだけでは,時間が過ぎて行かない。

2024年10月30日 16時23分20秒 | Weblog

夕方、4時半。気温22℃。曇って来た。やや、ひんやりする。

昼間から酒を飲んだので、ふらりふらりして、畑に出て行けないでいる。

でも、家の中に居るだけでは、時間が暮れて行かない。さて、と、やっぱり畑に出て行くとするか。

裏の畑の草取りをして、スコップで耕して、玉葱を植え付ける準備でもしておくとするか。

そうすれば、日が暮れて,わが一日が終わることになるだろう。

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泣けば泣くほど深くなる空がある

2024年10月30日 16時09分35秒 | Weblog

泣けば泣くほど深くなる空がある

これも川柳部門に投稿し、そしていつものように、落選になったわたしの作品。

落選は悲しいが、こうして落選後に読み返してみると、なるほどと落選が頷ける。

悲しくなると空は深くなる。どんどん深くなる。深みの奥へ奥へ、地上の悲しみを吸い取ってくれるようになる。有り難いものだ。わたしの悲しみのために空が深くなった。深くなった空が、目の前に現れて来ることがあった。

何度泣いたことだろう。生きて80年を過ごして、深くなった空を何度も何度も仰いで、何度も何度も空の深さ、お慈悲の深さに癒された。

 

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明日が弟の命日

2024年10月30日 11時34分24秒 | Weblog

明日が弟の命日。で、今日、弟の家族といっしょに「弟を偲ぶ会」をした。といっても、都合がついたのは,二人と二人だけだったけど。集まって、食べて、飲んで、弟の話をいろいろした。弟の30歳の頃の写真を拡大してポートレイトにして持参してあったので、弟の遺影にもコップを置いてビールを注ぎ、乾杯し、お猪口をもらって、日本酒を注いで、弟にも飲んでもらった。

弟が他界して9年になる。弟は僕よりも4歳年下。若くしてこの娑婆世界を後にしたが、死んではいない。次の世界、お浄土に往って成仏を果たして、元気一杯、縦横無尽の活躍をしているはずである。もちろん、すべてが意のままの世界にいるのだから、自由自在に地球へも戻って来て、この会にもにっこりにっこりして参加をしたはずである。

人は死なない。肉体を死ぬが、命を死ぬことはない。命は永遠の命である。人は、永遠に、進歩向上を得てパワーアップして行く。わたしはそういうふうに考えている。だから、肉体の死を悲しく考えることはないのである。

わたしがこの世の肉体を死んで9年が経って、さて、こうやってわたしを偲んでくれる人がいてくれるかどうか。あやしいものだ。ふっとそんなことを考えた。

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じゃが芋がやっと発芽しています

2024年10月30日 11時28分00秒 | Weblog

じゃが芋がやっと発芽しています。もうすぐ11月なのに。

青が鮮やかで美しい。

植え付けが遅れました。二列しか植え付けていません。

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畑の白菜がここまで育って来ました

2024年10月30日 10時19分00秒 | Weblog

畑の白菜がここまで育って来ました。元気です。虫に食われたところもありますが。

ちょっとくっつき過ぎていますね。

もう少し間隔を開けてあげるべきだった。

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愛の星光の星にいるを知る

2024年10月30日 10時00分34秒 | Weblog

愛の星光の星にいるを知る

ごめんなさいね、落選の句ばかりで。

いい句に仕上がったと思っているのはそれは、うぬぼれ。その自惚れを選者に受け入れてもらえなかったので、不本意を悲しがった作品が涙していそうで、それでちょいと、こうして明るい場所へ出して上げている。

「愛の星」「光の星」というのはわたしが住んでいるこの地球という星のことである。そういう受け止めをしてみたのである。自己肯定をしてみたのである。そうやって肯定感を持ってあらためてこの地球という星を受け入れてみたのである。

ああよかったなあと思ったのである。そういう愛の星光の星に80年を生きていられたことを嬉しがってみたのである。

これじゃ、しかし、作品にまで昇華されていなかったのだろう。

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惚れられているが嬉しき浴衣かな

2024年10月30日 09時51分40秒 | Weblog

惚れられているが嬉しき浴衣かな

これは我が輩の俳句。夏に投稿したが、それで終わった。反応はなかった。落選だった。

いい人に惚れられているというのは嬉しいものだ。それが着ている浴衣の裾捌きにも出てしまう。浴衣を夏風が吹いて、おんなの人の感情を煽り立てる。赤い鼻緒の下駄も,それを知って、心地よげに、高い音を立てる。

こころのないはずの浴衣が嬉しい感情を持って、夏の夕方のひととき、それを薫らせて来る。

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正しいことが正しく遂行されたのである。

2024年10月30日 09時44分33秒 | Weblog

死んで行く人にも入道雲白く

わたしの俳句。投稿したが落選だった。俳句になっていなかったのだろう。

空に入道雲が湧いている。人が死んだ。人が一人息を引き取ったというのに、それを察知しなかったかのように、いつものように白い雲が大空に上って光った。人が死んだくらいでは大空はビクともしていなかったのだ。泣いて,泣き崩れたりもしないで、平然としていた。それでいいから、そうしていたのだろう。それが何だか嬉しくもあった。

人が死ぬのは、死んでいいから死ぬのである。死ぬのがいいから死ぬのである。正しいことが正しく遂行されたのである。それが正しく受け入れられたのである。

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昨日眼科医院に行って、手術前の諸検査を受けて来た。

2024年10月30日 09時31分39秒 | Weblog

昨日、眼科医院に行って、白内障両眼手術前の、いろいろな事前検査などを受けて来た。手術は11月5日と決まっている。4泊の入院をする。

8時半に受付を済ませて,待って、いろいろな検査を受けて、ドクターの診察を受けたのは11時ほどだった。薬をもらって医院を辞去したのは正午近くだった。その間、多くの時間を待合室の椅子に座っていた。

患者がすこぶる多い。そのほとんどが、我が輩と同年齢近いご老人のようだった。見るともなく観察に及んだ。みなさん大なり小なり足下がふらついている。立ち居振る舞いがのろい。よろけながら歩かれる。みな我が輩を鏡に映しているようで感慨深かった。

長年生きているとあれこれ心身の機能が衰えてくる。衰えて衰えて老人になって長生きをしている、ということになる。

で、ふっともういいなあ、というようなことを思った。もういいなあ、十分生きたなあ、したたかに長生きをした。という感慨である。いつ死んでももういかなる種類の悔いをも、持ってはならないぞ、と思った。

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